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歴史

【赤坂 第7回】戦後のとらや 喫茶事業やパンの製造も

昭和20年(1945)8月15日、終戦―。店員の戦死、原材料不足、衛生状況の悪化など、この時期は、とらやの歴史のなかで最も困難な時期であったといえるかもしれません。経営を続けるため、菓子づくり以外のこともどんどん行ないました。
お客様からお預かりした原材料を、工場の釜を活用して粥などに加工し、収入を得たこともありました。21年には日本橋、銀座、三軒茶屋に喫茶店を開店。コーヒー、ココア、アイスクリームのほかに、汁粉や雑煮を供し、人気を博しましたが、菓子の製造を本格化できる見通しがたつと順次閉店、銀座と日本橋は和菓子の売店として新装開店することになります。
22年には、戦時中すでに先を見通して研究を始めていたパンの製造も開始しました。表町店の2階で食パンとコッペパンをつくり、配給用として販売。味が良いと評判になり、店の前の青山通りにパンを求める人々の長蛇の列ができたこともあったそうです。
また、輸出振興のために砂糖の配給に特別枠が設けられていたことから、23年には輸出用として缶詰羊羹の製造を再開。商品は日系人が多いロサンゼルスやサンフランシスコ、ハワイなどに送り出されました。

写真:コッペパンが置かれた伝馬町工場