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歴史

【赤坂 第2回】英語の広告も!新聞での宣伝を開始

13代店主は、父である12代の隠居を受けて「光正」を襲名し、20歳で店主の座につきました。当時のとらやは、小さな個人商店です。光正は従来の御所やお得意様ばかりでなく、それ以外への販売にも積極的に取り組み、新聞などに盛んに広告を出しました。とらやの記録に残る最初の新聞広告は、明治29年(1896)5月の粽の広告で、白粽が10本1把で8銭、外良粽は同12銭、前日にハガキで注文を受け、5把以上注文の方にはお届けする旨が書かれています。広告の成果もあり、売上は上昇。明治33年に店主となった14代・光景(みつかげ)も商品広告に力を入れ、掲載する商品も、「夜の梅」「雛菓子」などと増やしていきました。また、いち早く海外の方にアピールしようとしたのか、英文の広告も残っています。

画像:英文の広告。 京都に御所があったとき以来、御所御用を賜っている旨が書かれている。広告内「赤阪区裏3丁目」とは、現在の元赤坂のこと。

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