尾崎紅葉と初卯詣の日の菓子

明治時代の流行作家
江戸・芝中門前町に生まれた尾崎紅葉(おざきこうよう・1867~1903)は、学生時代に山田美妙(やまだびみょう)らと硯友社(けんゆうしゃ)を結成し、同人誌のさきがけと称される『我楽多文庫』(がらくたぶんこ)を発刊。やがて新聞社に入社し、『金色夜叉』(こんじきやしゃ)などの長編連載で人気作家となりますが、胃癌のため明治36年10月、35才の若さで亡くなりました。
甘党の遊山
非常な食道楽で、甘いものの逸話にも事欠きませんが、今回は、卯年生まれの紅葉が世話役となり、亡くなる年の正月3日、巌谷小波(いわやさざなみ)ら硯友社の仲間と初卯詣(はつうもうで・正月初卯の日に神社に詣でること)に出かけた話をご紹介しましょう。
俳句の会の機関誌『卯杖』(うづえ)に小波がこの日の出来事を書いており、日本画家 斎藤松洲(さいとうしょうしゅう)が絵を担当、紅葉は随所にコメントを添えています。
両国広小路の汁粉屋に集合した一行が向かった先は亀戸天神です。名物の繭玉飾りを買い、船橋屋のくず餅で一服。胃の不調を自覚しながらも「半盆を尽す」紅葉の甘党振りに一同は驚きます。

参詣後は、柳島にあった名料亭「橋本」へ。道すがら、紅葉は「三ヶ日中に其干支の当れる者は、飴を振舞ふ吉例なり」として飴を買って配りました。それぞれ、もらった飴は持ち帰ったのでしょうか。大の大人が揃って飴をしゃぶりながら歩いたとしたら、随分と愉快な光景です。
「橋本」では、卯年の初卯にちなみ「う尽し」の膳が出されました。「うど」と「うす切大根」入りのうさぎ肉の吸い物、「うづら」「うに焼海老」「うば玉栗」の口取り肴ほか、凝った内容で、菓子も「うぐいす餅」が供されました。青きな粉をまぶした鶯餅の春らしい色合いは、宴に興をそえたことでしょう。
食後は屋根舟に乗って川路を進み、浅草公園の見世物見物をした後、土産に仲見世名物の梅林堂の紅梅焼を買って雷門で散会となるのでした。
病身のため一行の後ろについていくばかりだったと文章を締めくくっている紅葉ですが、気の合う仲間との楽しい時間だったことでしょう。文士たちの風流な交流がうかがえます。
※この連載を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』山川出版社・1,800円(+税)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)
参考文献
「初卯詣」(『紅葉全集』第12巻 岩波書店 1995年)
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