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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2016.02.16

久保田万太郎と浅草名物

「東京浅草観世音並公園地煉瓦屋新築繁盛新地遠景之図」(部分)
明治19年(1886)、国立国会図書館蔵

石畳の両側に煉瓦造りの土産店が並ぶ、明治時代の仲見世の様子

下町育ち

俳人の久保田万太郎(くぼたまんたろう・1889~1963)は、明治22年、浅草・田原町に生まれ、青年期までを過ごした生っ粋の下町っ子です。この土地のもつ風情や下町ならではの人情の機微に深く心を寄せ、俳句や小説、芝居の題材としました。また、浅草の初夏を象徴する三社祭で知られる浅草神社には、「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」との代表句を刻んだ碑が建っています。

浅草名物・人形焼

ゆかりの地、浅草で、観光客がもっとも多く訪れる場所といえば浅草寺でしょう。雷門から本堂へと続く仲見世にはさまざまな土産物の店が並び、にぎわっています。
今回は、万太郎が書き残した仲見世名物をご紹介しましょう。
まずは、お土産の定番である人形焼。昭和2年(1927)に書かれた随筆「雷門以北」には、「名所焼」の名で登場します。提灯や鳩、五重塔といった浅草寺を連想させるモチーフをかたどったもので、明治時代の末、パンの木村屋が売り出したのがはじまりだそうです。白いシャツ一枚の職人が「カンカン熾(おこ)つた炭火のまへにまのあたりにそれを焼いてみせる」のが人気を呼び、類似の菓子を扱う店も出てきたと書かれています。今でも実演販売をする店があり、手際の良い職人技につい見入ってしまう方も多いのではないでしょうか。

思い出の紅梅焼屋

戦後、昭和30年(1955)に新聞に連載した小文「町々…… 人々……」では、紅梅焼の店を取り上げています。
紅梅焼は、江戸時代後期の『守貞謾稿』にも名が見える小麦粉生地の煎餅で、砂糖を加えた生地を薄くのばし、梅の形にして両面を香ばしく焼いたものです。
万太郎は、太平洋戦争以降、売る店が姿を消してしまったといい、在りし日の様子を回想しています。明治時代の末まで、仲見世では、5、6人の若い娘が、店頭の長火鉢に載せた鉄板に向かい合って紅梅焼を焼くのが名物だったとのこと。島田髷を結った娘たちのトレードマークは赤い襷で、ヤキモチヤキの奥さんを指して、「紅梅焼やのねエさんで、タスキがけで焼いている」とからかう洒落もあったとありますから、よほど知られた存在だったようです。また、「お梅さん」という評判の美人がいたのだとか。美人が焼く煎餅は、おいしさもひとしおだったことでしょう。万太郎の筆からは、往時のにぎわいが伝わってきます。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

「雷門以北」「町々…… 人々……」(『久保田万太郎全集』第10巻 中央公論社 1967年)

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