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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2017.07.18

柳沢保光と長いも饅頭

數物御菓子見本帖(大正7年)2より

大和郡山藩主

柳沢保光(やなぎさわやすみつ・17531817)は、現在の奈良市の南に隣接する大和郡山市にあった大和郡山藩の三代藩主で、甲斐守を称しました。曽祖父は五代将軍徳川綱吉の側用人を勤めた柳沢吉保(やなぎさわよしやす)。祖父吉里の時代に甲府からこの地へ国替えとなっています。
隣藩は四代将軍徳川家綱の茶頭を務めた片桐石州の大和小泉藩ということもあり、保光は石州流の茶を熱心に学び、限られた人にのみ伝えられる点前等を伝授されています。茶の湯を通して、松江の松平不昧、姫路の酒井宗雅、和歌山の徳川治宝とも親交があり、彼らの茶会記で松平甲斐守と記されているものは保光を指します。

感想付き茶会記

保光は亡くなる6年前に家督を譲って堯山(ぎょうざん)と号しました。今回の茶会記はその前に書かれたものと思われます。親しい方への書状の添の下書きでしょうか、年月日の記載のない、一部感想が書かれたものが残されています。
例えば、点前に関して「茶をぐずぐずとしてたて、だんご三つほとあり」とあります。「たて」とあるので、薄茶のようにも思えますが、「だんご三つ」とは抹茶の固まりのことでしょうから、濃茶の練り方が不十分で、団子のような茶の塊ができたのかもしれません。菓子に関しては、家老宅の茶会で「長いもまんちう むしたて むまいこと也 かハりをこのミ候」とありました。殿様自身、おいしかったので、おかわりしたという記録、そうはお目にかかれないでしょう。

長いも饅頭

山芋を摺って、うるち米の粉を揉み込んで皮を作り、餡を包んだものは、薯蕷(じょうよ)饅頭と呼ばれています。関西では長辺20cm前後の黒い皮のつくね芋を使うのが主流です。この芋を使うと粘度が強く、しっかりした歯応えのある皮に仕上がるのが特徴といえましょう。現在、大和郡山の南、天理市、さらに南部の御所市が主な生産となっている大和の伝統野菜「大和いも」もこのつくね芋と同じものです。
保光が食べた長いもとは、山芋の一種ではありますが、単に長いいもの意味だけで、具体的な品種は分かっていません。ただ、つくね芋とは食感や味わいは違っていたでしょう。
彼がおいしかったと感じた理由は、芋の違いというよりも、むしろ殿様ゆえに、普段はなかなか食べられない、蒸したての熱々だったからかも知れません。

参考文献:

『茶道聚錦』第5巻 小学館 1985

米田弘義 『大和郡山藩主 松平(柳澤)甲斐守保光-茶の湯と和歌を愛した文人大名 堯山』公益財団法人郡山城史跡・柳沢文庫保存会 2013

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