歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

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2021.07.19

北政所・寧々とおもてなしの菓子

『御蒸菓子図』より「青餅」
国立国会図書館蔵
ふのやき(参考)

秀吉の出世を支えた妻

寧々(ねね・?~1624)は、豊臣秀吉の妻として、織田信長の草履取りから関白・太閤にのぼりつめていく夫の出世を支えました。秀吉が天下を統一すると北政所(きたのまんどころ)と称され、豊臣政権で重んじられます。

 

寧々のおもてなし

文禄5年(1596)3月23日、博多の豪商にして茶人でもあった、神屋宗湛(かみやそうたん・1551~1635)が上洛し、寧々から食事を振舞われています。
宗湛の日記によれば、鶴の汁物、鯛の焼物など豪華な料理の後に出されたのが、蒔絵の三段の重箱に入った菓子。青餅、小豆餅、ふのやき、おこし米です。
青餅は緑色の餅、つまり蓬などの入った草餅と思われます。
昔の日本語では「青」という色の範囲が広く、緑色のものも「青」と表現されてきました。青葉、青りんご、青信号などの言葉はその名残です。江戸時代の菓子の絵図でも、「青餅」として緑色の餅が描かれています。
ふのやきは小麦粉を水で溶いて薄く焼いたものともいい、茶の湯の菓子として千利休をはじめ多くの茶人が用いていました。おこし米は糯米を原料としたおこしの原形です。
これらは秀吉から贈られた菓子とのことで、孝蔵主という秀吉・寧々に仕えた尼僧が宗湛のもとに持って来てくれた上、酒の酌もしてくれました。

天下人の贈り物

同時期の茶会記には昆布、椎茸の煮しめ、焼いた栗、生の栗、サザエなども菓子と記されており、まれに饅頭や小豆餅が登場する程度でした。色形の美しい菓子が登場するのはおよそ100年後、1600年代後半の元禄時代頃のことです。
菓子の組み合わせは、豪奢を極めた天下人の贈り物にしては素朴な印象を受けますが、当時の感覚では華やかな詰め合わせだったのではないでしょうか。
秀吉が寧々を喜ばせようと贈った菓子が、たまたま宗湛へのおもてなしに使われたのか、宗湛の来訪を知っていた秀吉があらかじめ届けておいたのか、詳しい背景はわかりませんが、秀吉・寧々夫婦に関わる貴重な記録といえるでしょう。

参考文献:

『神屋宗湛日記』 淡交社 2020年

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