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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2002.02.01

徳川慶喜と引き菓子

最後の将軍のお好み

「最後の将軍」として知られる15代将軍徳川慶喜 (1837~1913)。幕末の動乱期、その職に就いていたのは1年あまりでしたが、わずかな在任期間に政治の刷新、軍備の充実など幕政改革に着手したことは、彼が非凡であったことをうかがわせます。もし平和な時代であったなら、「名君」と呼ばれていたことでしょう。

将軍ということで無骨な想像をしがちですが、慶喜は意外にも写真、油絵など多彩な趣味を持っていました。明治に入って将軍職を解かれた後は、その才能を活かして悠々自適の生活を送っていたようです。

さて、慶喜の晩年の明治41年 (1908) 11月12日に、お菓子のご注文をいただいていたことが虎屋の『大福帳』に見えます。この当時士族や華族のご注文のほとんどは家単位であり、個人名でご用命を承るのは大変珍しいことでした。 お届けしたお菓子は、「出しほ (いでしお)」「若紫」「寒紅梅」を五つ盛りにしたものを18人前と、「高峯羹」「新千代の蔭」「八重梅」 を三つ盛りにして8人前です。

「三つ盛り」「五つ盛り」というのは、折などに奇数詰め合わせたもので、 慶弔時の引き菓子として使われます。特に慶事のお菓子は華やかな意匠に加え大ぶりで人目を引くため、かつては大変人気がありました。残念ながら徳川慶喜がどのような場でお菓子を使ったのかは、史料に記されていません。ただ、じきじきのご用命だったことから大切なお祝いごとがあったと想像されます。

今では結婚式の引き出物などに使われるくらいで、なかなか目にすることができなくなった引き菓子。大切な節目にお菓子を用意する、昔ながらの風習も大事にしたいものです。

※ 大正時代の見本帳を参考にすると下記のような菓子が考えられる。
  「出しほ」…海に月をあしらった煉羊羹
  「若紫」…籠に松の焼印を押した薯蕷饅頭
  「寒紅梅」…梅形の羊羹製(こなし)
  「高峯羹」…富士山の意匠の煉羊羹
  「新千代の蔭」…松の焼印を押した薯蕷饅頭
  「八重梅」…梅形の羊羹製(こなし)

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

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