赤坂店のあゆみ
【赤坂 第5回】表町店竣工と当時の仕事

昭和7年(1932)、現在の赤坂店の斜向かいにあたる場所に、御用場(ごようば・製造場)を併せ持つ店舗を新築。店は当時の町名から、「表町店」といいました。城郭を思わせるデザインは、旧歌舞伎座の設計で有名な岡田信一郎によるもので、店員たちから「お城の建物」と呼ばれ親しまれていました。
この頃の店頭以外の業務はどのようなものだったでしょうか。帳場(事務所)では、売上金の管理や宣伝業務を行なっていました。お得意様用の菓子パンフレットや新聞雑誌の広告作成等に加え、『お菓子たより』という広報誌をつくり、毎月1回お得意様宛に送っていました。この広報誌には、作家・翻訳家の村岡花子や歌舞伎役者の初代中村吉右衛門、いけばな草月流家元の勅使河原蒼風(てしがわらそうふう)らが菓子に関する随筆を寄稿しています。
御用場では、朝5時頃から出勤し、当日販売の生菓子などをつくり始めます。その後、特別注文商品や翌日の準備などを行ない、夕方5時に終業していました。ちなみに、とらやでは製造場を今でも「御用場」と呼んでいます。これは本来、御所の御用を勤める仕事場の意味からいわれるようになったものです。