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虎屋文庫資料展
和菓子の魅力を多彩な切り口でご紹介する展示会です。
最大の特色は、必ず手作りの和菓子を展示すること。小さいながらもユニークな展示です。
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展示開催期間:
2003.05.17~2003.06.16

第62回 虎屋五世紀のあゆみ 和菓子からWAGASHIへ展

この展示は終了しました。

虎屋は5世紀にわたり、和菓子を作り続けてまいりました。長らく京都で禁裏御用菓子屋を勤め、明治維新を機に東京へも出店。そして第二次世界大戦や終戦後の混乱を乗り越え、和菓子文化紹介のためパリとニューヨークに店舗を設けるなど、その歴史は変化に富んでいます。この展示では虎屋の足跡を、「掟書(おきてがき)」ほか秘蔵の史料とともにご紹介いたしました。

京都で生まれて5世紀

虎屋は室町時代の後期に創業。後陽成(ごようぜい)天皇(1586~1611在位)のときには京都で御所の御用を承るようになったと伝えられています。当時の様子はいまだ謎に包まれたままですが、関ヶ原の合戦(1600年)の際に、西軍の石河備前守(いしこびぜんのかみ)を虎屋がかくまった秘話などがあります。

最初の支店は江戸時代

はじめて虎屋が支店を出したのは、なんと正徳4年(1714)。その頃江戸では色形が美しい京菓子が大ブレーク中。虎屋もわずか1年あまりでしたが、久保町(現:港区西新橋1丁目)に店を設けました。今は銀行やオフィスビルが立ち並ぶビジネス街ですが、増上寺や参詣人が多かった愛宕山などにも近く、当時はなかなか賑やかな場所だったようです。

危機に直面!そのとき虎屋は!?

経営はいつも安定していたわけではなく、何度も危機に見舞われました。それを救ったのは、時代の流れをたくみに読み取った、歴代店主の英断でした。現代のリスクマネジメントにも通じる、危機克服のエピソードをご紹介しました。

●天明の大火(1788)と不況を乗り切る-9代光利(みつとし)の店内改革-
京都を焼き尽くした天明の大火や、この頃広まった深刻な不況は、虎屋にも大きな影響を与えました。店主の光利は、「掟書」や「店員役割書(てんいんやくわりがき)」を記して、店員に徹底した節約と綱紀粛正を呼びかけました。

●天皇が東京へ-明治維新と12代光正(みつまさ)-
明治2年(1869)の東京遷都は、天皇を支えとする京都の人々に、大きなショックを与えました。御用商人もその対応に悩み、多くが京都の地にとどまったのに対し、光正は不慣れな地でのリスクを覚悟の上で、東京にも出店することを決心しました。現在虎屋の本社が東京にあるのも、もとはといえば光正の決断があったからなのです。

●和菓子屋でもパン?-第二次世界大戦後の混乱を乗り越えて-
深刻な第二次世界大戦後の物資不足の影響で、虎屋も手に入る原材料でパンを作ったり、喫茶店を開いてコーヒーやココアを販売するという工夫をしました。なぜ和菓子屋なのにパンが作れたのでしょうか?じつは戦時中、和菓子製造ができなくなることを予想した15代店主の武雄が、店員に技術を学ばせていたのでした。

世界にはばたく和菓子

洋菓子に比べカロリーが低い和菓子は、健康ブームも手伝って外国人の間でも人気上昇中。果物の風味を加えた羊羹de巴里、黄粉を使ったマカロン、焼きりんご羊羹、クリスマスリース形の生菓子など、パリ・ニューヨーク店のために考案された菓子とともに、海外の和菓子最新情報もご紹介しました。

展示品:

江戸時代の古文書・古器物、明治時代の菓子製造風景など珍しい写真、ゴルフ最中・海軍用の羊羹・缶詰羊羹等懐かしいパッケージほか。


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