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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2019.11.27

新田潤と虎屋の羊羹

「海の勲(うみのいさおし)」 太平洋戦争中、虎屋から海軍に納めた羊羹。

プロレタリア・リアリズム作家としてデビュー

新田潤(にったじゅん・1904~78)は昭和期の作家。東京帝国大学の同期生で親友の高見順(たかみじゅん)らとともに、文学同人誌『日歴』や『人民文庫』に参加、プロレタリア・リアリズムの作家として注目され『煙管』『片意地な街』など次々に作品を発表します。戦後まもなく刊行された『妻の行方』(1947)は、戦争末期から戦後にかけての新田と妻を題材にした私小説で、物語の重要な場面に羊羹が登場します。

溶けた羊羹の思い出

戦争中、新田の家は虎屋の赤坂の工場の裏手にあり、海軍報道班員として東京を離れて以降は妻が1人で家を守っていました。しかし、昭和20年(1945)5月25日に赤坂を襲った空襲で自宅や虎屋の工場は焼失し、妻も行方不明に。戦後、東京に戻った新田は妻を探し、ようやく住まいを見つけます。ゆっくり話ができる場所ということで日比谷公園に向かい、そこで新田はとっておきの羊羹を差し出します。戦後の物資不足で甘いものは大変貴重だったのですが、恐らく新田は軍で支給されたものを大事に持っていたのでしょう。

妻はようかんをむきながら、「ほんとに軍隊なんかにはこんなものいくらでもあるんだからいやになっちゃうわ」(中略)「裏の虎屋の倉庫ね。あそこには焼けてみたら軍隊へ行くようかんがいやになっちゃうほど積んであったわ。それが丁度いい工合(ぐあい)に翌朝蒸し焼きみたいになっていて、みんなただで配給するってんで、バケツにいっぱいもらって、おかげでそれで御飯がわりが出来たわ

久しぶりの再会、しかも貴重な羊羹をもらって嬉しいはずが、なぜか投げやりな口調です。実は、子どもができなかったことや妻の養父母と折り合いが悪かったことなどから、戦時中から2人の仲はぎくしゃくしていました。新田が焦りといら立ちを募らせても居場所をつかめなかったのは、妻は夫との暮らしを諦めて新しい生活をはじめようと、あえて身を隠したからだったのです。

幸い、仲を取り持ってくれる人もいて、両者の溝は埋まり離婚の危機は回避されます。後年、新田は「虎屋の羊羹」と題し、妻が虎屋の工場から溶けた虎屋の羊羹をもらってきたことを再び書いているのですが、「まだほかほかとあったかくって、とてもおいしかったわ」と『妻の行方』の書きぶりとは打って変わり歌うような軽やかさです。2人の仲を羊羹が修復してくれた、と密かに感謝してのことだったのかもしれません。

※空襲によって溶けてしまった羊羹を人々に配ったというエピソードについては、『虎屋の五世紀』通史編 176頁を参照。

※新田の書いた「虎屋の羊羹」の自筆原稿と海軍に納めた羊羹「海の勲(いさおし)」(模型)を、現在開催中の「再開御礼!虎屋文庫の羊羹・YOKAN展」で展示をしております(12/10まで)。ぜひご覧ください。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

『妻の行方』隅田書房 1947(引用は一部現代仮名遣いに変えました)

「虎屋の羊羹」『日本の老舗』第14集 白川書院「日本老舗百店会」事務局 1966

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