歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

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2022.03.15

直木三十五と八艘飛びの菓子

新粉細工(上)とただ新粉(下)
川崎巨泉『おもちや千種. 第2集』より(国立国会図書館蔵)

人気の大衆文学作家

大正~昭和前期の小説家、直木三十五(なおきさんじゅうご・1891~1934)。晩年にあたる昭和5年(1930)、幕末の薩摩藩で起こったお由羅騒動(おゆらそうどう)を題材にした『南国太平記』を発表し、一躍人気作家となりました。遅咲きながら、歴史小説を中心に現代小説、未来小説など幅広いジャンルを手掛け、大衆文学の隆盛に貢献した人物といえます。彼の死後、友人である菊池寛は、その功績をたたえ直木三十五賞を制定しており、優れた大衆文学作品に与えられる権威ある賞として現在まで続いています。

義経の八艘飛び?

年齢にあわせてペンネームを三十一、三十二と変えていき、三十五で打ち止めにしたというユニークな逸話や、豪快な金遣いによる借金苦、女性問題など、破天荒さが知られる直木ですが、自叙伝「死までを語る」では、幼少期の可愛らしい思い出が語られています。

私の大衆文学智識というものは、相当に古くから、その淵源をもっている。これを裏書するもう一つの事実は、東京の新粉細工(しんこざいく)、大阪団子細工、あれの細工しないで、板へ並べただけのものが、――今も、何んというか知らぬが――欲しくて仕方がないが、名がわからない。いろいろと考えて
「義経の八艘飛(はっそうと)びおくれ」
 と、団子屋に云った。
「八艘飛びあれへん」
と、素気なく云われて、幼稚園で、友達の中へも入れぬ臆病な私が、大道の真中で、何んなに立ちすくんだか、それから、暫(しばら)く、団子は買わなかった。

新粉細工(団子細工)とは、着色した新粉(米の粉)生地をさまざまな形に作るものです。東京と大阪両方の呼び方を挙げているのは、大阪に生まれ、二十歳で上京、以降も関東大震災で大阪に戻ったり、再上京したり……といった直木の経歴も関係していることでしょう。
幼い直木が欲しかったのは、その新粉細工の生地を片木板に並べたものです。同時代の岸田劉生の日記正岡容の随筆にも見られ、「ただ新粉(ただしんこ)」と呼ばれたことがわかります。子どもたちはこれで、粘土のように好きな形を作って遊びました。
さて、名前を知らないなか、なんとか捻り出したのが、「義経の八艘飛び」でした。壇ノ浦の合戦で、源義経(みなもとのよしつね)が敵方の武将・平教経(たいらののりつね)に追い詰められた際、重い甲冑のまま船から船へと八艘も飛び移ったとされる伝説です。木の板に間隔をあけて並べられた色とりどりの新粉生地から、海に浮かぶ船を連想したのでしょうか。知恵を絞ってただ新粉を表現しようとする姿に微笑ましさを覚えると同時に、幼くして備わっていた古典の知識に感心させられるエピソードです。 

ただ新粉
『いろは引江戸と東京風俗野史』より

※この連載を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』山川出版社・1,800円(+税が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

「死までを語る」青空文庫より

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