歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

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2022.02.15

穂積歌子と雛菓子

「御雛祭用御菓子見本」虎屋黒川光景謹製(明治時代後期) ※1

渋沢栄一の長女歌子

穂積歌子(ほづみうたこ・1863~1932)は、渋沢栄一・千代の長女として生まれます。のちに法曹界の重鎮となる穂積陳重(のぶしげ)と結婚し、四男三女をもうけ、神楽坂に近い牛込払方町(現在の東京都新宿区払方町)に住みました。歌子は歌人として知られていましたが、彼女が結婚後、亡くなるまで綴った『穂積歌子日記』は、当時の世相を知る貴重な資料と言えるでしょう。雛祭に関しては、雛の宴だけでなく、散歩がてら神楽坂で、気に入った雛道具を買い増す様子なども描かれています。今回は明治40年(1907)の記述を中心に取り上げます。

虎屋より雛菓子持参す

3月1日の項には「午後虎屋より先日あつらへたる雛菓子持参す。孝子へ二品与ふ。使にて阪谷(さかたに)へ箱詰二、香台一、羊羹台一、通箱籠等六品。原町穂積へハ箱詰二、籠入一つを持たせ贈る。」とあり、歌子が家族に虎屋の雛菓子を贈ったことがわかります。当時お客様用に作成した「御雛祭用御菓子見本」から、菓子の内容を想像することができます。雛段に飾れるような小ぶりなもので、現在も一部は販売しています
日記にある「孝子」とは長女。前年に渋沢栄一の妹ていの長男渋沢元治と結婚し、実家から徒歩約20分の市谷仲之町(現在の新宿区市谷仲之町)に住んでいました。「阪谷」とは実妹の琴子。当時大蔵大臣を務めていた阪谷芳郎の妻です。「原町穂積」は阪谷と同じ小石川原町(現在の文京区白山)に住む義弟、法学者の穂積八束(やつか)のことでしょう。八束は以前、穂積家の雛の宴で白酒に酔ったことが日記にありました。

色鮮やかな羊羹類を詰めた通箱
竹皮包羊羹を盛った長台(現在、雛台として販売)。

雛の宴

3日、午後8時頃、次女光子、三女晴子が主人となって、雛の宴が始まります。白酒、すしを用意したほか、光子はさらに自身の小遣いから買い求めた餅菓子を「一同」にもてなすとあります。すしは、以前の記述に「五目ずし」とあるので、手作りの同じ物であろうと思います。また餅菓子とは、恐らく邪気を払う蓬の草餅でしょう。明治期の雛の宴では、白酒、菱餅、草餅、豆炒(炒り豆)が定番だったようです。家族をはじめ、使用人、書生を含む「一同」が楽しんだのではないかと想像します。三男貞三、四男真六郎は、当時仙台の学校に在籍中で、その場にはおらず、光子が葉書に菱餅と菱台を描き、家族が署名し、歌子が次の歌を添えて二人宛に投函します。

 菱形の もちひにばかり 角見えて
 円居(まどゐ)たのしき 雛祭りかな

雛の宴の団らんを共有したいと想う歌子の気持ちや家族の絆を感じさせます。

※1 根津美術館刊 特別展図録『虎屋のおひなさま』(2020)には、該当の画像、及び同時期の雛菓子を描いた見本帳の一部が掲載されている。

※この連載を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』山川出版社・1,800円(+税)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

企画展『渋沢家の雛祭り』展示図録 渋沢資料館 2009年
企画展『法学者・穂積陳重と妻・歌子の物語』展示図録 渋沢資料館 2011年
デジタル版『渋沢栄一伝記資料』渋沢栄一記念財団
特別展図録『虎屋のおひなさま』根津美術館 2020年
若月紫蘭『東京年中行事』上 春陽堂 1911年

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