歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

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2022.01.12

小西大東と菓子のデザイン

『勅題干支新年菓帖 巻十三』(1913)より
寅年向けの菓子図案が描かれている。
虎以外にも、虎皮、虎耳草(こじそう)などの意匠も見える。

多芸多才な学者

小西大東(おにしだいとう(もとはる)・1869頃~1944)は、京都生まれの歌学者、有職故実の研究者です。硬派な学者としての顔のほか、着物や扇子の図案を考案し、自ら広告デザインまで行うなど、京都ブランドの総合プロデューサーとしても活躍していたことが、近年、明らかになり、その存在に注目が集まっています。

勅題・干支菓子への情熱

明治時代後半~戦前にかけては、菓子の世界にも深く関わりました。なかでも、明治34年(1901)に創刊した菓子店向けの図案集『勅題干支新年菓帖』の出版には、30代半ばから晩年に至るまで、40年近くも携わりました。この図案集は、翌年の宮中歌会始の勅題(現在の「お題」)と干支にちなむ菓子の意匠を掲載したもの。小西は図案と菓銘の考案、解説の執筆を一手に引き受けており、かなりの情熱を傾けて作業にあたっていたことがうかがえます。雑誌の挿絵を描いたり、菓子店の包装紙やしおりを手掛けたりするなど、絵が得意だった小西は、当初は図案も担当していましたが、途中から、日本画家の辻井盛久が加わり、命銘に専念するようになったそうです。
当時、勅題が発表されるのは前年の11月頃。年明けに売る菓子の図案集ですから、一日も早く刊行する必要があり、毎年、勅題発表後から大急ぎで作業が進められました。明治37年版のあとがきによれば、発表から7日目には刊行すると言われ、2日間で図案を仕上げたそうです。さらに、昭和2年(1927)版には「御題発表後三十時間内に本帖を発行」するため、30以上の菓子について、辻井が図案を考え、小西が命銘し、清書して印刷にまわすまでに3時間かからなかったとあるので驚きます。
こうしたなかでの菓銘の考案は、熟考する時間もなく、「見るからに名命(なづ)け、名命(なづ)くるからに説明を書(か)い流す(中略)一夜漬の考証」(大正10年版)と謙遜していますが、漢詩の一説や中国の故事を踏まえた格調高いものが多く、その教養のほどをうかがわせます。花鳥風月を題材にした意匠、菓銘をもつ菓子は、古典の世界に親しむ歌学者にとって、愛すべき存在だったのでしょう。大正4年(1915)版で、京菓子は「心目舌の三者を楽ましめ、高尚優美、一種の工芸的食料」であると讃えています。

伏陰(ふくいん) 
大正11年 の勅題「旭光照波」にちなむ。
日が昇る際には「清風起こつて群陰伏す」との中国の古典の一節から命銘した、と解説に記している。

現在も、新年には華やかなお題の菓子干支の菓子が各店の店頭を彩ります。100年以上たった今も、こうした風雅な趣向が受け継がれていることを、小西もうれしく思っていることでしょう。


※とらやの干支関連菓子は
こちら

※『勅題干支新年菓帖』について、全国銘産菓子工業協同組合発行の『あじわい』誌(季刊)でもご紹介しております。あわせてご覧いただければ幸いです。

※この連載を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』山川出版社・1,800円(+税が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

松田万智子「小西大東 ―忘れられた近代京都の文化人―」(『資料館紀要(28)』 京都府立総合資料館 2000年)

*国立国会図書館デジタルライブラリーにて、一部の年代の『勅題干支新年菓帖』を閲覧可能。
*虎屋文庫所蔵の『勅題干支新年菓帖』についてはこちら

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