歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

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2021.09.15

武者小路実篤とおはぎ

武者小路実篤より志賀直哉宛書簡
明治39年(1906)4月10日(消印)
調布市武者小路実篤記念館蔵

白樺派の代表作家

武者小路実篤(むしゃこうじさねあつ・1885~1976)は東京・麹町生まれの小説家です。友人・志賀直哉らと雑誌『白樺』を創刊、「おめでたき人」「友情」「愛と死」など、人間愛あふれる作品で知られます。書画にも優れ、昭和30年代(1955~64)頃には、果物、野菜などの絵を描いた色紙、手ぬぐい、うちわや暖簾、店の包装紙が世に出回り、人気を博しました。この頃から晩年まで暮らした東京都調布市の邸宅の隣接地には現在、武者小路実篤記念館があり、実篤の幅広い分野での活動が多角的に紹介されています。

甘いもの好き

カステラ屋の掛紙(神奈川近代文学館蔵)に「この世に甘きものある事うれし」と書いているように、実篤は大の甘党でした。娘の辰子による随筆『ほくろの呼鈴』からもその一端がうかがえます。戦時中、実篤が暗がりにあった茄子のいためものをいきなり手づかみにして口に入れたときのこと。いためた茄子は好まないのに…と意外に思うと、本人も驚いており、「きんつかと思ったんだ。珍しく気のきいたものがあると思ったんだ」と言ったそうです。辰子は「本当にその時気の毒だった」と書いていますが、砂糖の配給がじゅうぶんとはいえない状況下、きんつば幻影を見たのかもしれません。

おはぎの思い出

一方実篤は、おはぎについて、戦時中の忘れられない思い出を書いています。仕事を兼ねて秋田に旅行した折、宿泊先の家が薬を作っていた関係で、砂糖もいくらか融通がきいたらしく、重箱いっぱいに10個以上ものおはぎを持たせてくれました。好物でもあり、一つつまみ、二つつまみして、その日の晩までになんと一人で全部食べてしまった由。「甘党に聞かせたら皆羨ましがる程の想像の出来ない贅沢な話」とありますが、その晩のお膳の上にも、実篤の分だけおはぎ入りの箱がのっていたので、さすがに閉口したそうです(同行した秋田の知人がおはぎ好きのことをずいぶんと宣伝していたよう)。

ちなみに実篤は若い頃、寄せ書きやハガキに「OHAGI」や「オハギ」と署名することがありました(上画像)。よっぽど好きだったからと思いたくなりますが、「おはぎ」はもともと学校の同級生がつけたあだ名で、理由について実篤は、顔にそばかすやシミ、腫物のあとがあったからではと、意外な推測をしています。「あまり名誉ある呼び名ではない」としていますが、好きな食べ物だったので嫌うことはなかったとか。署名の「OHAGI」の字をじっと見ていると、文字面からもおはぎ愛が伝わってくるようです。

 

※この連載を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』山川出版社・1,800円(+税が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

協力:

調布市武者小路実篤記念館

参考文献:

武者小路辰子『ほくろの呼鈴 父実篤回想』筑摩書房 1983年 「一人の男」(『武者小路実篤全集』第17巻 小学館 1990年より)

調布市武者小路実篤記念館ホームページ おうち時間で実篤を知ろう 身近に感じる実篤(2)甘いもの篇

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