歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

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2021.03.18

渋沢栄一と菓子

参考:とらやの「霙羹(みぞれかん)」

渋沢栄一(しぶさわえいいち・18401931)に関しては、明治天皇より下賜された金魚の菓子について書いており、今回は別の菓子の話をご紹介したいと思います。

幼い頃の話

91歳の口述筆記に、「書道に関するもの」と題して、12歳頃、褒美の最中につられて手習いに励んだことが記されています。当時、菓子と言えば、「わるい砂糖のかためた様なもの」で、これに対して最中はご馳走だったのでしょう。この他「甘いものは好きで良く食べる。中でも飴が一番よい」との記述もあります。

茶室を活用する

栄一は、お茶は一寸も好きだとは思わなかったと言いながら、飛鳥山(東京都北区王子)の邸宅の造園時に、益田克徳らに薦められ茶室「無心庵」を作りました。後年「あの茶席は、あれで仲々値打がある。徳川家を公爵にしたのも、謂はばあの茶室だからネ」と語っています。

幕末、徳川慶喜に仕えていた栄一は、主君思いの人でした。維新後、明治政府への恭順の意を示し、静岡で暮らしていた慶喜に、彼は関西出張の折など立ち寄ったり、資金面での援助をしたり、色々な形で寄り添います。明治30(1897)に東京へ戻った慶喜は、翌年皇居で明治天皇に拝謁。この頃から、栄一は慶喜の復権を旧知の井上馨に相談し、伊藤博文にも働きかけます。

茶室竣工直後の明治32627日昼、栄一は無心庵に慶喜と井上を招きました。菓子などの記録はありませんが、呈茶の後、酒宴は夕方5時まで和やかに続きました。この出会いが契機になったのでしょう、復権の話は進み、明治35年、政府は特例で慶喜に公爵の爵位を与えます。栄一は茶室での集まりが人の心を開くことに気付き、以降、国内外の人との交流の場として、無心庵を活用します。また自らも益田孝、その他の茶会にも出向くようになりました。

栄一が企画した茶会

明治38722日正午、栄一席主の下、徳川慶喜・伊藤博文・井上馨・桂太郎・益田孝ら、旧幕府と長州人など※の会が無心庵で催されました。日露戦争も終結への道筋が見えてきた時期です。この時の主菓子は「みぞれ羹」、干菓子は紅白「七宝形」押物。改まった濃茶の席では、両者雪融けの意を込め、続く薄茶の席では、これからの新しい関係を祝して縁起物の意匠を、と考えたのかもしれません。呈茶後、酒宴を催し、一同昔話を懐かしみます。席主の想いを客が十分に受け止めたからこそ、会は夜にまで及んだのでしょう。

※旧幕府:徳川慶喜、渋沢栄一(旧幕臣)、益田孝(旧幕臣・三井)、長州人:伊藤博文(前首相)、井上馨(元蔵相)、桂太郎(首相)、その他客:下条正雄(日本画家)、欄外 補助:三井八郎右衛門(三井)、点茶:川部宗無(表千家宗匠 東京出張所)

※この連載を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

デジタル版『渋沢栄一伝記資料』渋沢栄一記念財団

渋沢栄一デジタルミュージアム 深谷市渋沢栄一記念館

山本麻渓、木全宗儀 編『古今茶湯集』巻三 慶文堂書店 1917年

 

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