今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
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2020.07.15
徳川治宝と豪華な落雁

注目の藩主
松江藩主松平治郷(不昧)を代表に、茶の湯をたしなみ、和菓子文化の発展に貢献した藩主は数多く存在します。その一人として、今回は紀州藩主徳川治宝(とくがわはるとみ・1771~1852)に注目しましょう。治宝は19才で10代目の藩主に就任。学習館や医学館などの藩校を建て、文化事業や藩政改革に力を注ぎましたが、趣味人としても知られ、表千家の家元9代了々斎より茶道を学び、作陶に励んだり、比類なき落雁の数々を創作したりしました。
美を尽くした落雁の数々
治宝が本格的に落雁に関心をもつのは、文政7年(1824)に藩主を退き、西浜御殿に移ってからのようです。「西濱様御好」、つまり治宝のお好みであったことを示す木型が、御用をつとめた総本家駿河屋に60点以上伝えられます。西浜御殿は、文化人が交流するサロンのような場でもあったので、菓子を披露する機会は少なくなかったことでしょう。
なかでも圧巻は紀州の名所、和歌の浦を絵画的に表したものです。3枚の木型によってできるこの落雁は、縦30×横40㎝もの大形。海岸沿いの松原や飛翔する鶴など、細部まで表現されていて、その美しさに圧倒されます。

ほかにも紀伊国の名所八景を題材にした和装本仕立ての「紀八景」(きはっけい)、上品な白菊をかたどった「吹上糕」(ふきあげこう)や見事な大海老を表した「老の寿」(おいのことぶき)など、いろいろな意匠があります。治宝は木型を美術工芸品としてとらえ、自分の美意識にかなった菓子を作らせることに無上の喜びを感じていたのでしょう。
このほか、筆・硯をかたどった中国趣味の漂う「管城糕」(かんじょうこう)と「端渓糕」(たんけいこう)の木型は、天保8年(1837)に尾張徳川家より贈られた菓子をもとに作られたと伝わるもの。両家では菓子を通じての交流があり、尾張藩の御用をつとめた両口屋是清には、駿河屋の木型の意匠に共通するものが所蔵されています。
深まる調査研究
駿河屋の木型には11代斉順(なりゆき)好みも含まれており、落雁の絵を含む絵手本(見本帳)11冊とあわせ、現在、和歌山市立博物館の所蔵となっています。制作年代、意匠、尾張家との交流など、様々な視点から調査研究が発表されていますので、興味をもたれた方はぜひ、参考文献にあげた虎屋文庫の機関誌『和菓子』の論考や、木型関係の図録をご覧くださいませ。
※この連載を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)
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