歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2020.03.25

藤村庸軒と茶席の菓子

参考:菓子 サハリの鉢 つまみ羊羹十ヲ入
元禄2年(1689)11月16日昼「反古庵茶之湯留書」より再現

茶人 藤村庸軒

藤村庸軒(ふじむらようけん・1613~99)は、千利休の孫、千宗旦(せんそうたん)に師事した、宗旦四天王※1の1人に数えられる茶人です。久田家に生まれ、兄宗利の嫁は宗旦の娘にあたります。のちに京都の呉服商(屋号:十二屋)藤村家の養子となりました。藤村家は伊勢の大名、藤堂家の御用商人でした。茶は初め武野紹鷗(たけのじょうおう)の弟子であった藪内紹智(やぶのうちじょうち)に学びますが、そののち小堀遠州との茶の交流も深められ、幅広い茶を学んだ末に、宗旦を師と仰ぎました。

懐石の後の菓子

懐石の後の菓子に関して、庸軒の茶会記をみていると興味深い記述に目がとまりました。現在もそうですが、懐石が終わると、亭主は縁高折、食籠、鉢などに菓子を人数分、例えば3人なら3個(ご亭主により多めにご用意される方もいらっしゃいますが)入れて運び出し、正客より菓子を順に取りまわします。しかし、彼の記述には、3人の客に対してサハリ※2の鉢に「あんもち九ツ入」、あるいは「つまみ羊羹十ヲ入」。4人の客に対しては、「あん餅焼て十三入」など多くの数が表記されています。人数、菓子の数から考えると、一人当たり3個ということでしょうか。

伝来の菓子器を見ると、現在のものとさほど大きさは変わらず、直径30cm未満のものが主です。サハリの器ともなれば、直径20cm未満の小さなものも見られます。器の大きさから考えると、実はこの時の菓子は、1個10g~20gくらいの小さなものだったのではないかと想像します。菓子の大きさは、その時の菓子器に合わせて、亭主の趣向で、自在に決め、客は客で自分の気分で、1個食べて、2個は懐紙に包んで持ち帰るなど、臨機応変だったのではないでしょうか。

参考:虎屋の『撮羊羹(つまみようかん)』 「数物御菓子見本帖」(1918)より
参考:茶釜の摘(つまみ)

今回、庸軒の茶会記から、他の茶会記や虎屋の江戸時代の記録、大正の見本帳にも載っている「つまみ羊羹」を実際に試作し、食べてみて思ったことがあります。この菓子、今までは茶巾で絞って摘み上げた形状がその由来と考えていましたが、釜の蓋の「つまみ」、あるいはちょっと軽く食べる意の「つまむ」が本来の由来ではないかと。

※1 宗旦四天王とは宗旦の有力な弟子たち、山田宗偏、杉木普斎、藤村庸軒と、久須美疎安、または三宅亡羊や松尾宗二という説も。

※2 サハリとは銅に錫、鉛を加えた合金。砂張、佐波理とも書く。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

樋口家編『庸軒の茶 -茶書茶会記- 』河原書店 1998

谷端 昭夫『現代語でさらりと読む茶の古典 -茶話指月集 江岑夏書-』淡交社 2011年

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