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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2019.09.20

成島柳北と羊羹

酒肴の羊羹(イメージ)

ジャーナリストのさきがけ

成島柳北(なるしまりゅうほく・1837~84)は現在ではあまり知られていませんが、明治時代には一流の文化人として名をはせた人物です。本名は惟弘(これひろ)といい、柳北と号しました。名家に生まれ、幕府の要職を歴任しました。しかし、維新後は仕官せず、文筆業に専念。明治7年(1874)に『朝野新聞(ちょうやしんぶん)』を創刊、社主をつとめ、新政府を辛辣に批評して支持を得ました。

旅先の羊羹

柳北は、自分ほど「旅好ムヲノコ(男子)ハ世ニ多ク有ラジ」(「浜松風」)と書き残しているほど、旅行が好きでした。各地を旅しては、名物を食べ、土地の名士と交流し、言葉や風俗の違いを面白がって記録しました。
散逸してしまった日記も少なくありませんが、明治2年10月中旬から11月下旬にかけて関西~四国を旅した際の日記「航薇日記(こうびにっき)」は活字化されており、明治初期の地方の様子を知ることができます。
10月27日、岡山城下でのこと。土地の名物について「この市街に金華糖といふ点心を売る、又大手饅頭白羊羹等の名産あり」とあります。金華(花)糖とは、煮詰めた砂糖を木型などに流し固めた菓子で、雛祭りの祝い菓子を代表として、今も各地で作られています。また、皮に小麦粉と甘酒を使った大手饅頭は同地の銘菓としてよく知られます。
面白いのは「白羊羹」です。岡山は白小豆の産地として名高いため(「備中白小豆」)、白餡を使った羊羹か、と思いたくなりますが、柳北は「其色白からず、常のものなり、何故にかく唱ふるやと問ふに、白砂糖にて製せし故なりと云ふ」と記しており、「白砂糖」に由来する「白」羊羹だったようです。
11月7日には金刀比羅宮(香川県)近くの宿で、朝から「鯛のちり」を味わいますが、その際、羊羹が酒の肴に出されたと珍しがっています。おせち料理の口取りや、山海のご馳走を一皿に盛り合わせた高知県名物の皿鉢料理に羊羹が入っていることがあるので、同様の趣向でしょうか。不満を述べていないので、甘い羊羹とお酒の相性を案外気に入ったのかもしれません。情報網が未発達だった時代、旅をして郷土色豊かな食文化や未知の味に出会うことは、好奇心旺盛な柳北にとって大いなる楽しみだったことでしょう。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

「航薇日記」(『柳北全集』博文館 1897年)

 

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