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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2019.05.15

渡辺水巴と葛桜

記憶の中の菓子

菓子欲しけれどなし、句に作る
幅更へて飛瀑けぶるや葛ざくら

葛桜といえば、葛生地で餡玉を包み、桜の葉を巻いた、夏向きの菓子ですね。この句は、葛の透明感や気泡に、滝水のイメージを重ねたものでしょう。目にも涼しげな葛桜が思い浮かびますが、詠まれたのは終戦後の昭和21年(1946)、「菓子欲しけれどなし」とあるように、満足にものを食べられなかった時代です。思い出の菓子を描いて気を紛らわせたという話なども聞きますが、こちらも同じで、句を作ることで甘いものを食べたい気持ちを慰めたようです。

水巴と妹・つゆ

作者は渡辺水巴(わたなべすいは・1882~1946)。日本画家・渡辺省亭(せいてい)の息子として東京浅草に生まれ、19歳で俳句の道に入り、内藤鳴雪(ないとうめいせつ)に師事、次いで高浜虚子(たかはまきょし)の指導を受けました。江戸趣味、瀟洒な作風で知られ、大正5年(1916)には俳誌『曲水』を創刊・主宰しています。生活が苦しくなった際にも他の職に就くことはせず、俳人として生涯を貫いた人物です。
そんな水巴を支え続けたのは、2歳年下の妹・つゆでした。水巴の身の回りの世話は常につゆの仕事であり、それは彼が妻を迎え、子どもが生まれてからも変わりませんでした。

水巴の長女で、のちに同じく俳人となった金井巴津子(かないはつこ)は、叔母つゆとの思い出を語った文章の中で、縁日の帰りに買った葛桜と水羊羹を、つゆが「ギヤマン※にのせ、手でかいた氷をかけて」持ってきてくれたと書いています。水巴は食事に関して、味付けから温度、盛り付けに至るまでうるさかったといいますから、つゆのこの用意も、葛桜や水羊羹には氷が必須という彼のこだわりがあってのことではと想像してしまいます。冒頭の句も、氷がかかったものと思うと、しぶきをあげて落ちる滝のイメージがよりしっくりくるように思えないでしょうか。
つゆは水巴より早く、昭和16年(1941)に亡くなりました。葛桜の句は、手に入らない菓子を思うと同時に、妹と過ごした日々にも思いを馳せて詠んだものかもしれませんね。

※ガラス製品のこと。ここではガラスの器を指す。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

渡辺水巴『水巴句集』近藤書店 1956年
金井巴津子「つゆ女を語る」(『曲水』47巻539号 1963年)

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