歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
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2019.04.16

片桐石州と山椒餅

茶人 石州

片桐貞昌(かたぎりさだまさ・160573)は、大和国小泉藩、現在の奈良県法隆寺付近の地域を治めた大名で、茶道の石州(せきしゅう)流の開祖として知られています。江戸在府中、愛宕下の藩邸がご近所だったからでしょう、茶道を千道安(千利休の長男)の弟子であった旗本桑山左近(宗仙)から学びました。茶名を「宗関」と名乗るようになりますが、官位が石見守(いわみのかみ)であったことから、石州の名で広く知られるようになります。

3代将軍徳川家光、4代将軍家綱より茶道具の鑑定、茶会、献茶など、指南役として茶道に関わる相談を受けるようになってからは、将軍にならい石州流を習う大名が一気に増えていきます。今まで取り上げてきた松平治郷(不昧)酒井忠以(宗雅)井伊直弼(宗観)も石州流を学んだ大名茶人です。

お気に入りの山椒餅

彼の茶会記を写したものを見ていると、菓子の項に「山水川」「柚水山」など、下記のような表記を複数箇所で目にします。

 

菓銘かと思いきや茶会記を丹念に調べてみると、「山」は「山椒餅」、「水」は「水栗1」、「川」は「川茸2」、「柚」は「ゆべし」とそれぞれ略表記であることが分かりました。筆写した人は余りに同じ組み合わせの菓子が多いので、煩わしくなって省略したのでしょうか。

「山椒餅」は寛文3年(1663)から4年にかけて、実に40回近く使われています。石州はこの菓子をよほど気に入ったのでしょう。『合類日用料理抄』(1689)の記述をもとに、作り方を類推してみると、もち米の粉に砂糖、山椒の粉を混ぜ、水を加えて練り、さらに味噌を溶かして混ぜて、蒸籠で蒸して、臼で搗いて、適当な大きさにのばして切ったものと思われます。虎屋の「御菓子之畫圖」(1707)には、山椒餅、うるち米の粉、白砂糖、味噌、山椒の粉と記載されています。

刺激的な香り、舌にぴりっとくる味わいはお茶に馴染まないのでは、と疑問を持たれるかも知れませんが、会記の流れを見ると、この菓子を食べて、食事の後の口の中をさっぱりさせたあと、一旦、茶室を出て、休憩。蹲(つくばい)で口をすすぎ、書院の別席に移り、お茶をいただいたと考えられます。

食後の菓子としての山椒の風味は、石州をはじめ、当時の人たちの好みに合ったのでしょう。

※1 「水栗」とは栗を剥いて、巴などの形に細工し、水につけたもの。現在も遠州流ではこの「水栗」を青磁の鉢などに盛って、食後にすすめるのが正式な出し方。井伊直弼の茶書『茶湯一会集』には、水栗は毒消しの意があると記されています。

※2 「川茸」は香茸(こうたけ)というキノコ、あるいは川に自生する藻の一種で、刺身のつまにも使われている水前寺海苔だという説もあります。

※この連載を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1,944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

町田宗心『片桐石州の生涯』光村推古書院 2005

山本麻渓、木全宗儀 編『古今茶湯集』慶文堂書店 1917

『茶の湯文化学』9号 資料 片桐石州自会記 翻刻 八尾嘉男 2004

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