歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
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2019.02.20

岡部豊常と贈答の菓子

葛生地の桜餅

幕末の京都町奉行

岡部豊常(おかべとよつね・1806~65)は幕末の旗本。嘉永2年(1849)に禁裏付(きんりづき)として江戸から京都に赴任、さらに同6年から安政6年(1859)までは京都東町奉行をつとめました。

豊常は日々のできごとを詳細に書きとめた日記を残しています。内容は、13代将軍徳川家定のもとに篤姫(あつひめ)が嫁いだことや安政の大獄といった政治情勢のほか、江戸にいる親族のため雛人形を購入したことや、領地である鶴原村(大阪府泉佐野市)の人々から挨拶を受けたことなど、多岐にわたっています。

菓子で親交を結ぶ

日記の中でかなりの部分を占めているのが贈答に関する記述でしょう。やり取りしているのは、主に親族や、公務で関わっていた大名や武家、公家など。なかでも同じ旗本で、西町奉行の任に就いていた浅野長祚(あさのながよし)とは、毎月のようにいろいろなものを贈りあっています。

一例を紹介しましょう。安政3年6月3日には、まず長祚から豊常のもとに桜餅が届けられます。ついで翌4日には豊常が葛切を贈り、同じ日に長祚から今度は「大まんぢう蓬来山一折」が届く、といった具合です。実は豊常は長祚よりも10歳年上なのですが、これだけひんぱんにやり取りをしていたというのは、恐らく両者のうまが合っていたということなのでしょう。

長祚が贈った桜餅はどのようなものだったのでしょうか。現在知られている関西風の道明寺生地の桜餅が作られるようになったのは明治時代になってからのこと。天保年間(1830~44)以降、片栗粉や葛粉を溶き薄く焼いた生地の桜餅が大坂で売られたといい(『浪華百事談』)、京都の菓子屋の広告にも同様の文言が見られますので、日記の桜餅も同様だった可能性がありそうです。また「大まんぢう蓬来山」は、中に小饅頭が入った饅頭のことでしょう。虎屋には「蓬が嶋(よもがしま)という子持ち饅頭がありますので、これと似たような菓子だったのかもしれません。

安政5年、西町奉行の任を解かれ急遽江戸に戻ることになった長祚のため、豊常は金子(きんす)ほか、桧(ひのき)の四段重に「茶、干菓子、水□(虫損)飴菓子」と「ようかん弐色」を詰め合わせたものなどを渡しています。日記には、茶と干菓子はあり合わせ、とありますが、おそらく出立まで時間がなかったのでしょう。豊常は長祚に時折は京都のことを思い出してほしい、という気持ちを込めて、京都の茶と菓子を餞別として用意したのかもしれませんね。

「蓬が嶋」は、特別注文にて承っております。

※この連載を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1,944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

岡部豊常著 鈴木里行編『京都東町奉行日記』安政3年編、安政5年編 新人物往来社 1995、1994年

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