歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
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2018.12.17

幸田文と恋の思い出の菓子

参考:四隅を束ねて餡玉を包んだ菓子
「数物御菓子見本帖」(虎屋黒川家文書、1918)より

「台所育ち」の作家

幸田文(こうだあや・190490)は、作家幸田露伴の次女として生まれました。24歳の時に結婚しますが、10年後に離婚。年老いた父のもとに帰り、身の回りの世話をします。露伴の死後、その思い出を綴った「雑記」「終焉」を発表、その後『流れる』『おとうと』などの小説が評価されました。幼い頃より父から家事を教えられ、自らを「台所育ち」と評した文の作品は、食べ物に関する描写が丁寧で、こだわりが感じられるものが多くあります。

菓子に思いを込めて

戦時中、父と出版社主の初老の男性と3人で伊豆からの汽車に乗ったとき、不意にその男性の若い頃の恋の思い出を聞いた文。「なにも云へずできずで、たうとう包んだまゝに終つてしまつた」というその恋は「遠山桜のやうな、色も香もありやなしの夢のごとき」ものに感じられました。後日、文は彼に何か一言伝えたいと考えた末、菓子を贈ることを思いつきます。
それは、白・鴇(とき)※1・白の3色の生地で球状の黄身餡を包んだもの。「三枚重ねの包みは外の白へほんのり鴇いろが映るくらゐに、できるだけ薄くのして重ねあはせるのが腕であり、四隅を束ねた截り口がおのおのきつかり三段の縞になつてゐれば、そこが見せどころなのである」とあり、美しく繊細な菓子が想像できます。
文は一度しか食べたことがなく、名前を忘れてしまったそうですが、「『花がたみ※2』と自分勝手な名をつけて送りたかつた。きみを包んで白く、また色あり、だから」と記しています。ほんのり映る薄紅色の生地、黄身餡を包んだ意匠に、文が遠山桜のように感じた彼の恋、心に秘めた「君」への思いを重ねているのでしょう。
この菓銘は、能の「花筐(はながたみ)」から想を得たものかもしれません。即位した大迹部皇子(おおあとべおうじ)を慕い、あとを追った恋人が紅葉狩の行幸の場で再び出会うという、相手を思い続ける恋心を描いた謡曲に、男性の思い出と通じる部分を感じたのではないでしょうか。
残念ながら戦時中ということもあり、実際に贈ることは叶わなかったそうですが、もし渡せていたら、相手にとっても特別な菓子として心に残ったに違いありません。

※1 トキの羽のような薄桃色、淡紅色。
※2 花や若菜などを摘んで入れるかご。花かご。

※この連載を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1,944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

「菓子」(『幸田文全集』第4巻 岩波書店 1995年)

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