歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
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2018.11.15

柴田方庵と雲片糕

中国の胡麻入り雲(云)片糕
日本の雲平の例

種痘法(しゅとうほう)の普及に貢献

柴田方庵(しばたほうあん・1800~56)は、江戸時代後期の蘭方医です。常陸国多賀郡会瀬村(現茨城県日立市)に生まれ、江戸に出て医学の道に進みました。32歳のときに長崎に行って西洋医学を学び、種痘法(天然痘の予防接種)の普及に貢献します。長崎では水戸藩に海外の情報を提供しており、意外なことにビスケットの製法も書き送っていました。送ったことのみ「日録」(日記)に記され、製法は不明ですが、全国ビスケット協会は、送付日の2月28日を「ビスケットの日」と定めています。

日記に見える菓子の記述

方庵の「日録」は、弘化2~安政3年(1845~56)の間に書き綴られたものです。長崎での日々の医療業務や水戸藩とのやりとり、江戸や名古屋にいる友人たちとの交流、長崎の風俗習慣の記述があるなど、内容は実に様々。贈答や進物の記述も多く、人づきあいのよさがうかがえます。特に菓子は土産でもらったり、病気見舞いに贈ったり、随所に登場。「菓子到来」「菓子壱袋持参」など、菓子名が不明なことが多いとはいえ、「甲州産 月ノシズクと云う菓子」「桃まんちう」など、わかる場合もあります。そのなかで今回とりあげたいのは雲片糕(うんへんこう)です。

中国伝来の雲片糕

方庵は嘉永3年(1850)3月10日、江戸に向かう途中で名古屋の植物学者、伊藤圭輔(介)らを訪ねたとき、そして4月9日、江戸の医者、伊藤玄朴に会ったとき、それぞれに雲片糕二俵を贈っています。おそらく長崎の手土産として持参したのでしょう。雲片糕は中国から伝わった落雁の親戚のような菓子。もち米の粉と砂糖などをあわせ、固めて蒸し、薄く切った干菓子で、今も中国で作られています(写真左は一例)。方庵の用意したものも同様の形でしょうか。日記では、二俵以外に「壱包ツヽ」という記述があり、俵状に包装したり、何かに包んだりしたものがあったようです。俵といえば、米俵が想像されますが、ここでは小ぶりなものだったのではないでしょうか。
江戸時代の史料から、雲片糕は「雲片香」とも書き、長崎に限らず作られていたことがわかります。昭和28年(1953)刊行の『菓子の事典』にも前述したような製法が記されていますが、いつのまにか見かけなくなりました。しかし蒸す前の生地は、現在、「雲平」(うんぺい)と呼ばれているものと同様といえるでしょう。一般に、雲平は、寒梅粉(もち米を加工した粉)と砂糖をあわせた生地を着色し、薄くのばして花びらや葉、流水を形作る(写真右)など、工芸菓子の製法として知られ、関西では生砂糖(きざとう)とも呼ばれています。
方庵に、全国菓子大博覧会で展示されるような、雲平で作った大輪の牡丹や色づいた楓の木を見せたら驚くこと間違いなしでしょう。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

『柴田方庵日録』一~五 日立市郷土博物館、1989~97年

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