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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2018.08.16

樋口大吉と江戸の菓子屋

鳥飼和泉の店頭
国立国会図書館蔵 「御府内流行名物案内双六」より

一葉の父

樋口一葉の父・大吉(則義・1830~89)は、甲州中萩原村(現山梨県甲州市)の農家の生まれで、幼いころより勉学に秀でていました。彼は28歳だった安政4年(1857)、古屋あやめとの結婚を反対されたため、父の友人であった武家の真下晩菘(ましもばんすう)を頼って、江戸に駆け落ちをします。家を出てからの日記が残されており、江戸に到着した翌日の4月13日、真下を訪ねるため、手土産の菓子を求めに出かけたことが記されています。(一葉についてはこちらこちら)

大久保主水と鳥飼和泉

大吉がまず向かったのは今川橋(現千代田区)の幕府御用菓子司、大久保主水(おおくぼもんと)でした。江戸で頼る相手に持参する菓子として、最も格式の高い店を選んだのでしょう。ところが玄関先で声をかけると、菓子は献上品を扱うのみで、一切販売はしないと断られてしまい、仕方なく本町三丁目(現中央区)の、饅頭で知られた鳥飼和泉(とりかいいずみ)で菓子折を注文することになりました。出来上がるまでの約2時間を、主人や店の手代らと世間話をして過ごすのですが、当日注文が入っていた金三両の豪華な菓子折を見せてもらった上に、茶菓子にと7切れも頂戴しているのは驚きです。
話は大久保主水にも及び、2月28日から3月1日まで、市中の菓子屋は一軒あたり2人ずつ同家に手伝いに行くとのこと。大久保主水は6月16日の幕府の嘉祥の御用で知られますが、これは雛菓子の用意のためだったのでしょうか。同年この時期に、江戸城で能が行われたりしているので、特別な動員だったのかもしれません。
大吉は、こうした雑談の記録のあとに、「当時名高キ菓子や」として、「鈴木越後、宇都宮、鳥飼和泉、紅や」の名前を挙げています。「宇都宮」は大久保主水とともに幕府御用を勤めた宇都宮内匠(うつのみやたくみ)、「紅や」は煉羊羹の元祖とも言われる紅谷志津摩(べにやしづま)のことでしょう。
吟味した菓子のおかげもあってか、大吉は真下の元、蕃書調所(ばんしょしらべしょ・江戸幕府の洋学研究教育機関)の小使として働くことになりました。これらの菓子屋にお使いに行くこともあったかもしれませんね。

※この連載を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

塩田良平『写真作家伝叢書9 樋口一葉』明治書院 1966年
塩田良平『樋口一葉』 新装版 吉川弘文館 1995年

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