歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
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2018.06.15

河竹黙阿弥とかき氷

「新版ねこの氷屋」(部分) 明治22年(1889)
後ろの品書きに「氷しら玉」「氷しるこ」「レモン氷」などと見え、
洋装、和装の客がコップ入りのかき氷を楽しんでいる

江戸最後の狂言作者

河竹黙阿弥(かわたけもくあみ・1816~93)は幕末から明治時代に活躍した歌舞伎の作者です。舞踊から時代物、世話物まで幅広いジャンルの作品を数多く手がけ、代表作の「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」、「梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)」などは現在もたびたび上演されています。
江戸時代の町人社会における義理・人情・色恋などを主題とした世話物を特に得意とし、庶民の流行に敏感な人でした。人の集まる酒場に変装して立ち寄り、はやり言葉を研究したほか、女性の髪型や持ち物をよく観察したといわれ、そうしたなかから題材を得ていたのでしょう。

話題の先端、氷屋

明治10年(1877)8月に上演された「千種花月氷(ちぐさのはなつきのこおり)」は、東京・京橋に新しく出来た氷屋を舞台にした舞踊劇です。この「京橋の氷屋」という趣向に黙阿弥のセンスが光ります。
銀座・京橋界隈といえば洋風の煉瓦造りの建物が並ぶ、最先端のおしゃれな街でした。また、今では夏の風物詩ともいえるかき氷が一般に広まるのは、明治20年代以降といわれ、上演当時はまだまだ珍しい存在だったと思われます。
内容としては、いなせな氷屋の主人、色男の花かんざし売り、美しい妾などが登場し、色模様を演じるという他愛のないものなのですが、当時の風俗を知ることができ面白いです。たとえば、幕開きで、祭り見物にきた職人たちが、あまりに暑いのでかき氷を食べてみたいものだと話し合うくだりに、一杯が「一銭か二銭」で、「れもんを一ぺい呑みてぇ」という台詞があるので、味付きがあったことがわかります。かき氷を「食べる」ではなく「呑む」と表現しているのも、時代を感じさせますね。この頃は、コップ状のガラスの容器にかき氷を入れて提供したようなので、そうしたことに由来しているのかもしれません。
人気役者を集めたこの舞踊は、その涼しげな趣向もあいまってか大変好評を博したそうです。時代の流行に敏感だった黙阿弥が現代にいたら、どのようなスイーツに注目し、芝居に取り入れるか、見てみたいものですね。

※この連載を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

「千種花月氷(西洋氷店)」(『黙阿弥全集』第20巻 春陽堂 1926年)
河竹登志夫『黙阿弥』文藝春秋 1993年

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