歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
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2018.03.16

志賀直哉と駄菓子

相撲取りと鳶口の金花糖
石橋幸作『駄菓子のふるさと』未來社 1961年より

小説の神様

志賀直哉(しがなおや・1883~1971)は、『城の崎にて』『暗夜行路』ほかで著名な白樺派の作家です。数々の優れた作品を残し、文学界に多大な影響を与えたことから、教科書によく掲載される『小僧の神様』をもじって、「小説の神様」とも呼ばれています。

駄菓子屋の話

短編小説の『黒犬』(1924年執筆)は、直哉がかつて過ごした麻布の、小さな駄菓子屋に関わる事件をヒントに創作されたもの。今回取り上げたいのは、主人公の男性が、四つか五つだったときの駄菓子屋の思い出を語る場面です。同じ年頃の子どもが駄菓子屋に集まって文字焼(小麦粉をといた生地を鉄板に落とし、文字や絵を書いて焼く)をしたり、店のおかみさんのまわす張子の的に矢を吹きつけたり、菓子のあたりくじの紙を台紙からめくったりすることをとても羨ましく思った旨が書かれています。

鳶口(とびぐち)の金花糖

「一度内証で女中から金華糖の鳶口を買つて貰ひ、大変値打のあるものに思つたことを覚えてゐる。」からは、宝物を手にしたような喜びが伝わってきます。「金華糖」(一般には金花糖)とは、型に砂糖液を流し込み、固めた後、彩色する砂糖菓子のこと。現在も金沢を中心に鯛や招き猫、果物などをかたどったものが作られていますが、ここで述べられているのは物を引っ掛けたり引き寄せたりするのに使う道具、鳶口の形です。かつてはよく作られていたようで、石橋幸作の『駄菓子のふるさと』から、鉤(かぎ)形の黒砂糖の金花糖を串にさし、鳶口に見立てていたことがわかります(挿絵参照)。氏は「勤労意欲の昂揚」「努力を教える」などの教育的な意味があったのではと推測していますが、鳶職人や火消しが使う道具だけに、男の子にとっては、粋なかっこいい形だったのではないでしょうか。現在ではハッカ糖を使った小さなものを作っている店が東北にあるそうです。

直哉は明治16年に宮城県石巻に生まれ、2才のときに両親と東京の麴町の祖父母の家に移り、7才で芝公園、15才で麻布に転居しています。主人公の語る駄菓子屋と子どもたちの光景は、直哉のどの時点の思い出に重なるのかわかりませんが、明治2030年代にはよく見られたと思われます。メンコ、ビー玉、石けりで遊ぶなど好奇心旺盛、しかも活発だったという直哉ですが、裕福な家庭で、祖父母に大切に育てられていたため、駄菓子屋の出入りは禁じられていたのかもしれません。鳶口の金花糖は、直哉にとって記憶の片隅に残る特別な品だったのではないでしょうか。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

『志賀直哉全集 第3巻』岩波書店 1973

石橋幸作『駄菓子のふるさと』未來社 1961

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