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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2017.08.14

岡本綺堂とおてつ牡丹餅の茶碗

国立国会図書館蔵「新板大江戸名物双六」

新歌舞伎の代表的作家

明治から昭和前期にかけて活躍した劇作家・小説家の岡本綺堂(おかもときどう・1872~1939)。父親の影響で幼い頃より歌舞伎に親しみ、演劇改良運動に刺激を受けて東京府立一中在学中に劇作家を志望。卒業後は新聞社に勤めながら劇作を行い、明治44年(1911)の「修禅寺物語」の成功で新歌舞伎を代表する作家となりました。小説では、捕物帳の元祖ともいわれる『半七捕物帳』を著したことで有名です。

江戸時代のおもかげを偲ぶ

明治の生まれの綺堂ですが、江戸風俗に詳しく、江戸時代を懐かしむような文章を多く残しています。「茶碗」という随筆の中で「おてつ牡丹餅」に触れているのもその一つ。
「おてつ牡丹餅」は天保期(1830~44)に売り出された麹町の名物菓子で、小豆・ごま・黄粉の三色、団子のように小ぶりな餅だったといわれます。幕府の調練場に店が近いことや、看板娘おてつの評判もあって繁盛し、「ぼた餅※1だけれどおてつは味がよし」「助惣(すけそう※2)とお鉄近所でうまい中」など、川柳に詠まれるほどでした。
明治以降も、綺堂が15歳になる頃までは営業していたようですが、店は「甚だ寂(さび)れて、汁粉も牡丹餅もあまり旨(うま)くはなかったらしい。近所ではあったが、私は滅多(めった)に食いに行ったことはなかった」とのこと。おてつについても、「聟(むこ)を貰ったがまた別れたとかいうことで、十一、二の男の児(こ)を持っていた。美しい娘も老いて俤(おもかげ)が変ったのであろう。私の稚(おさな)い眼には格別の美人とも見えなかった」と少々寂しい回想です。
綺堂は知人から譲り受けた、平仮名で大きく「おてつ」と書かれたこの店の茶碗を手にし、「今この茶碗で番茶を啜(すす)っていると、江戸時代の麹町が湯気の間から蜃気楼(しんきろう)のように朦朧(もうろう)と現れて来る」と、かつて茶碗に触れたであろう人々に思いを馳せます。文金高島田に結った武家の娘、使いの途中でこそこそと牡丹餅と汁粉を食べていく丁稚、鉄扇を持った若侍……読んでいるこちらの目の前にも、遠い昔の人々の姿が浮かんでくるようです。

※1 不器量な女性のことをいった
※2 助惣焼も麹町の名物菓子

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

「二階から」青空文庫より

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