歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
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2017.03.24

河井継之助と羊羹

幕末の風雲児

越後長岡(新潟県長岡市)の藩士の家に生まれ、幕末の藩政改革の中心人物となり、無念にも戊辰戦争によって倒れた河井継之助(かわいつぎのすけ・1827~1868)。古い風習にこだわらない実行力と正義感の強さは、今も地元の人々の敬愛を集めています。その生涯を題材にした司馬遼太郎の小説『峠』を読んで、ファンになった方も少なくないでしょう。
若い頃から治世とはどうあるべきか考えていた継之助は、江戸や西国に遊学しています。安政6年(1859)、33才の時の西国遊学は、江戸藩邸から横浜、京都、大坂を経たのち、備中松山(岡山県高梁市)で儒者・山田方谷(やまだほうこく)の教えを受け、長崎や熊本まで足をのばし、帰国するという、広範囲に及ぶものでした。道中の出来事を記した日記『塵壺』(じんこ)によって、寺社仏閣や名所旧跡、遊郭や唐館・蘭館を訪ねるなど、旺盛な好奇心で見聞を広める継之助の姿を追うことができます。横浜で交易状況を調べたり、佐賀で反射炉を見て産業育成の必要性を感じたり、様々な情報を得て藩政の参考にしているのが彼らしいところ。新たな時代を切り開いていこうという気概が伝わってきます。

熊本でのお土産

今回は日記から、継之助の素顔がうかがえる、ほほえましいエピソードをご紹介しましょう。熊本で土産を買おうと菓子屋に入ったときのこと。そこでは名物の「朝鮮飴」を売っていましたが、継之助は煉羊羹があるのか尋ねます。「幾等分にても切上ぐる」といわれ、注文すると、なんと値段に見合わない「巨大」さ。本当に煉羊羹だろうか、(この土地では)砂糖が安いからなのかと疑い、少し食べさせてほしいと頼むと、結果は「小供羊羹」、つまり駄菓子の類でした。継之助はため息をつき、「此の如き粗末なるは、使い物に出来ず。煉羊羹にあらず」といいますが、店の人は動じることなく、別の羊羹も作っているが今はなく、この品は進物によいと答えます。あきれるものの、「かさありてよかろう」と大きいことに触れ、笑って持ち帰ったそうです。自分の思うことを正直に伝える人柄、先方の言い分を受け止め、笑ってその場をおさめる懐の深さなどが、何気ないやりとりからもうかがえるのではないでしょうか。
なお、この羊羹をもらった木下真太郎(山田方谷の同門)が後日、御礼を述べる場面があります。木下の家の様子は「万事質素」、加えてその飾らぬ人柄から、継之助は「羊羹は粗末にあらず」と思ったそう。こんなことまで日記に書き残してくれるとは楽しいですね。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

安藤英男校注『塵壺-河井継之助日記』 平凡社 1980年

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