歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

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2017.02.16

黒川光正と姥が餅

歌川広重「東海道五拾三次 草津」

虎屋十二代店主の道中日記

明治2年(1869)の東京遷都に際し、長年京都で御所の御用を勤めてきた虎屋は、京都に残るか、天皇にお供して新天地へ向かうかという難しい選択を迫られました。この時店主を務めていたのが、十二代黒川光正(くろかわみつまさ・1839~88)です。京都店はそのままに東京にも出張所を開設することを決めた光正は、初め庶兄を派遣し、明治12年には自身が東京で経営にあたることに。その下見と準備のため、前年3月と9月に上京した際の記録が、「東上日記(とうじょうにっき)」です。持病を押しての旅ながら、人力車や駕籠、船や汽車などの交通手段を使って片道約1週間、滞在も1週間強という強行スケジュールで、出店準備に追われていた様子がうかがえます。

草津の姥が餅

「東上日記」には、人力車代や宿代と並んで、菓子代が度々記載されています。同業者として、道々目にする菓子はやはり気になるところだったのでしょうか。詳細はほとんど記されていませんが、3月15日には「姥が餅」の名が挙がっています。餅を餡で包んだ草津(滋賀県)の名物菓子で、戦国時代の武将六角義賢(ろっかくよしかた)の遺児を乳母が、餅を売りながら育てた話に由来するといわれます。歌川広重の錦絵「東海道五拾三次」にも、草津の風景として「うばか餅」の看板のかかった店が描かれています。店員が旅人に黒いお重を差し出しているのが不思議に思われますが、『献立筌(こんだてせん)』(1760)にも「をくら野(小倉野)のあんに常の餅を包みて重箱にて」提供する旨があり、茶店での決まった出し方だったようです。
「名高き姥が餅を餐(さん)す」とわざわざ記しているあたり、光正も名物を味わえて嬉しかったのでしょう。餅を頬張る光正の姿が、広重の描いた旅人に重なって想像されます。

重箱を差し出す店員

※ 蜜煮にした小豆を餡玉につけた菓子。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

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