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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2016.11.15

平亭銀雞と大坂の名物饅頭

幕末の虎屋伊織の店頭風景

江戸時代後期の東西比較

平亭銀雞(へいていぎんけい・1790~1870)は、医者として大名家などに仕える傍ら、狂歌や戯作を中心に多数の著作を残した人物です。大坂城勤番のため一年ほど在坂した際の見聞をもとにした『街能噂』(ちまたのうわさ・1835刊)は、行事・商売から、言葉・生活道具にいたるまで、江戸と大坂を比較して滑稽本仕立てにまとめたもので、江戸時代後期の庶民の風俗を知るうえでとても貴重な史料です。
同書には刊行にいたらなかった続編があり、菓子関係の記述はこちらの方が充実しています。丸餅の雑煮や、きな粉や餡をつけた月見団子、12月1日に「乙子の餅(をこのもち)」(餅入りの雑煮や汁粉)を食べる行事など、江戸では馴染みのない事柄が紹介されています。

江戸では見ない饅頭の売り方

続編には、大坂高麗橋にあった虎屋伊織の饅頭の売り方についてのエピソードがあります。江戸からやってきた主人公の二人が、同店のような上菓子屋が店で饅頭を食べさせるというのは江戸にはないことだと驚く、という筋書きです。上菓子屋とは、白砂糖を使った上等な菓子を扱う店のこと。江戸の人間にとっては、そうした高級店が茶店のような商売をすることなど、想像できなかったのでしょう。
ではなぜ虎屋伊織は店で饅頭を食べさせていたのでしょうか。『守貞謾稿』によれば、大坂には饅頭のみを扱う「饅頭屋」が多く、そうした店では黒砂糖を使った安価なものが売られていたといいます。恐らく出来立てをその場で客に出すような売り方だったのでしょう。地元の人間から見れば上菓子屋の虎屋伊織も饅頭を扱う店。熱々のうちに店先で食べたいという客の要望があったのかも知れません。
ちなみに虎屋伊織の饅頭は、上菓子屋らしく、上等な輸入白砂糖を用い、粉や小豆、水にもこだわったものだったそうです。日を経ても味が落ちず、蒸し直すと出来立てのような味わいで、土産にも好まれたとか。増して蒸し立てとあれば、その味わいは格別だったことでしょう。江戸暮らしの長かった著者の銀雞には奇異に映ったようですが、大坂ならではの饅頭の売り方に、全国に名を轟かせたという人気の秘密があったのかもしれませんね。

※ 乙子の朔日(おとごのついたち)とも呼ばれ、末子、末弟の祝いが由来とされる。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

中村幸彦・長友千代治編『浪花の噂話』汲古書院 2003年

「浪華百事談」(『日本随筆大成』第三期第二巻 吉川弘文館 1976年)

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