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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2016.10.14

伊藤晴雨と駄菓子屋

「子供を集めた駄菓子店の図」より。
中央で子どもたちが興じているのは「文字焼」。
右には駄菓子が詰まった菓子箱が見える。
(『いろは引 江戸と東京風俗野史』)

江戸のおもかげを探して

明治から昭和にかけて活躍した画家、伊藤晴雨(いとうせいう・1882~1961)。ほぼ独学で絵の腕を磨いて、新聞の挿絵で人気画家となり、舞台美術、幽霊画など幅広い分野を手がけました。そのなかでも力を入れたものに考証画があります。晴雨は江戸時代の情緒が残る名所旧跡をたずね、古くからある言い伝えを聞いて回るなど、江戸庶民の風俗を丹念に調べていきました。その集大成が昭和4~6年(1929~31)に刊行された『いろは引 江戸と東京風俗野史』(全6巻)といえるでしょう。神社仏閣に残るいろいろな形の灯籠、町を行き交う行商人、縁日の見世物などが頁いっぱいに描かれているさまは、まるで「目で見る江戸風俗辞典」のようです。

駄菓子屋は少年の倶楽部

第6巻では駄菓子屋店頭の図とおよそ60種に及ぶ駄菓子の絵図、「江戸時代と明治初期の駄菓子屋」と題した解説を掲載しています。
それらを見ると、蜜柑水、板砂糖など、今は廃れてしまったものに混じり、胡麻ねじ、薄荷糖、塩釜、芋羊羹など、見覚えのある菓子も描かれています。晴雨は「其商品は明治初期迄多少の変化変遷はあり乍ら現代迠続いて居る。恰も縁日の商品が材料は異つても三十余年前と現代と略大差のない(即ち進歩しない)のと同じである。」と書いています。確かに今もスーパーなどで同じようなものを見かけることがあるので、人の嗜好はそれほど変わっていない、ということなのかもしれません。
おやつとして親しまれた駄菓子ですが、問題もあったようです。たとえば、甘みをつけた小麦粉生地を鉄板で焼く「文字焼(もんじやき)」(エドワード・モースと文字焼の項参照)は、生焼けのまま食べてお腹を壊す子どもが多かったといいます。また、黒砂糖の飴玉「鉄砲玉」には、藁ゴミや竹の屑などが混じっていたとも……。衛生に気を配る現在からは信じられない話ですが、「其風味は亦上等の菓子の及ばぬ独特のものがあった」と書いているので、なんともいえぬ魅力があったと思われます。
ちなみに、店では駄菓子のほか、水鉄砲、めんこ、パチンコのゴムなど、玩具もたくさん扱っていました。駄菓子や玩具を買い、遊び相手を求めて子どもたちが集う駄菓子屋は、晴雨がいうようにまさに「少年の倶楽部」だったのでしょう。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

伊藤晴雨著 宮尾與男編注『江戸と東京 風俗野史』国書刊行会 2001年
斎藤夜居『伝奇 伊藤晴雨』豊島書房 1966年

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