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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2016.08.19

長谷川時雨と戸板煎餅

明治初年頃の出来事として、時雨の父、深造が描いた挿絵。落ちぶれた士族が道端で謡をうたって、銭を乞うている。家財道具を売ってしのいだ士族もいた。(『旧聞日本橋』岩波文庫、1983年より)

日本橋の思い出

文芸雑誌『女人藝術(にょにんげいじゅつ)』を主宰して数多くの女流作家を育成し、女性の地位向上にも努めた長谷川時雨(はせがわしぐれ・1879~1941)。脚本家、小説家としても活躍した人物で、特に評価が高いのが、幼い頃の思い出を綴った随筆『旧聞日本橋(きゅうぶんにほんばし)』です。生まれ育った日本橋大伝馬町界隈の人々や身内のことが、のびやかに描かれています。

明治12年生まれの時雨の幼少期といえば、江戸の余韻が残っている頃。「四民平等」が謳われてから10年以上たっているとはいえ、落ちぶれた旗本や没落した豪商など、境遇が変わって、不安定な生活となり、苦闘している人々が大勢いました。このような状況下の菓子に関わるエピソードを、同書からご紹介しましょう。

祖母の商売

幕府の瓦解とともに運命が変わった身内の一人に、時雨の母方の祖父、湯川金左衛門がいました。元は江戸詰めの仙台藩士でしたが、維新後は、士族仲間と新事業を企て、何年か家を留守にしたそうです。妻である祖母は生活に困窮し、考えたあげく、戸板(雨戸に使うような板)をもってきて、その上で煎餅を焼いて道端で売り出したとのこと。おそらく、雑穀などを混ぜた生地を焼いた素朴なものでしょう。慣れぬ商売を始めたわけですが、少額の客にも「まあまあ私(あたくし)のをお求め下さいますのですか。それは誠に有難いことでございます。」という調子で、丁寧に手をついて御礼をいった由。その物腰や念のいった焼き方もあってか、繁盛します。

しかし、一日手伝いに来て様子を見ていた姉娘(祖母の長女)夫婦が隣で同様に戸板を使って煎餅を焼き出すと、客引きのうまさもあって、次第に隣の売り上げが増えていくことに。祖母は「お前さん方、もっと此方へお出なすったらよい。どうも私(あたくし)の店がお邪魔なようだ。」といって、元祖戸板煎餅の店を片づけてしまったそうです。「無類の好人物」であったという祖母には張り合う気持ちはなく、あとは娘夫婦にまかせようと思ったのかもしれません。成り行きを見ながら、幼い時雨は、武士の妻だった祖母が煎餅屋を始めようとした心境や、店を譲ったときの気持ちをあれこれと想像したのではないでしょうか。

数多くのエピソードで綴られる『旧聞日本橋』からは、新しい時代の荒波を受けながらも精一杯生きようとする人々の息遣いが聞こえてくるようです。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

岩橋那枝『評伝 長谷川時雨』 筑摩書房 1993年

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