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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2016.06.15

酒井宗雅と金平糖

金平糖と染付振出

茶人宗雅

今回の主人公は、江戸琳派の画家として有名な酒井抱一の6歳上の実兄、酒井忠以(さかいただざね・1755~90)です。彼は姫路(兵庫)の15万石の大名で、号を宗雅(そうが)と名乗りました。4歳年長の松江(島根)の藩主松平不昧(ふまい)との出会いがきっかけとなり、茶の湯への関心が高まり、不昧の一番弟子となります。宗雅は惜しくも36歳の若さで亡くなりますが、亡くなる前年までの約3年の茶会の様子を記した「逾好(ゆこう)日記」には、道具組みは勿論のこと献立、菓子なども細かく記録されており、当時の大名茶の実態をうかがい知ることができます。

見附の茶屋での再会

天明8年(1788)9月18日、江戸に向かう途中、見附(静岡)入口付近の茶屋で小休止していた不昧一行と、掛川(静岡)からやってきた宗雅一行が出会います。宗雅から面談を申し入れると、不昧も宗雅を待っていたようで、その場で対面となりました。といってもあいにくの大雨。駕籠のまま茶屋へ乗り上げ向かい合い、戸を開けて、師弟ともに久々の歓談を楽しみました。
当時の大名行列は少ない時でも200人前後の編成だったこともあり、宿場が混乱しないよう、路上での行き違いをなるべく避けるなどの配慮があったようなので、これは稀な事例であったことがわかります。

駕籠の中での茶会

不昧は持参の茶箱を持ち出し、自分用の茶碗で宗雅のために薄茶を点(た)てました。茶箱内の道具は、全てが小さめに作られているので、駕籠の中でも十分にお茶を点てられます。菓子の記述はありませんが、師の茶がおいしかったのでしょうか、宗雅はもう一服所望しています。
続いて不昧より茶箱を持っているかと問われた宗雅は、菓子器の一種、染付の振出(ふりだし)を取り出し、まず勧めます。中には金平糖が入っていました。
享保3年(1718)に著された菓子製法書『古今名物御前菓子秘伝抄』の金平糖の記述を見ると、すでに青・黄・紅・白・黒の5色で仕立てるとあり、この時の金平糖も色とりどりだったかもしれません。振出は口が小さく、金平糖のほか、五色豆などの豆菓子を入れる菓子器で、野点(のだて)や不意の時など、鉢、蓋物の菓子器や懐紙の用意がなくても、振ると「掌(てのひら)に何が出てくるか」と気軽に楽しめます。
不昧の所望に応えて宗雅は「たっぷりのお茶」を点てます。茶碗の銘や宗雅自作の茶杓など、その後もしばらく話は尽きませんでした。二人が如何に親密な師弟関係にあったかをうかがうことができます。

※  茶碗、棗(なつめ)、茶筅(ちゃせん)、茶杓(ちゃしゃく)、振出など、茶を点てるのに必要な携帯用茶道具とそれを収めた箱。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)
参考文献:

粟田添星『酒井宗雅茶会記』村松書館 1975年
茶道資料館編『姫路藩主酒井宗雅の茶と交遊』 2012年

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