歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2016.04.06

岩本素白と『菓子の譜』

羊羹の商標ラベル

軍医の写生帖

明治生まれの国文学者・随筆家の岩本素白(いわもとそはく・1883~1961) 。現在の早稲田大学文学部を卒業、母校で教鞭をとりながら、後に「近代随筆の最高峰」とも呼ばれる作品の数々を発表しました。
素白は『菓子の譜』という掌編の中で、少年時代に聞いたという「非常な甘い物好きで、始終胃をわるく」していた海軍の軍医の話をしています。軍艦の寄港先で名物の菓子を求めると、彼は絵の具を使って実物大に写生し、「時と所と菓子の名前と、さうして目方と価と」を記したのだそうです。長い航海の間、その帳面を取り出しては菓子の「美しい色や形を眺め、その味ひを思ひ出して楽しんだ」という軍医の話を面白く思った少年は、長じて、菓子の箱に貼ってある商標ラベルや綺麗な包装紙、「箱の中に添へてある絵画詩歌などを書いた小箋」を集め、「布張りの洒落た菓子折」に入れておくようになりました。

素白の商標コレクション

新潟銘菓「越の雪」の商標は「古風な銅版画で、その店舗の様子を写して居るが、その前にある昔の無恰好な黒い四角な郵便箱が面白い」としており、恐らくは小さなものであっただろう商標を、素白がいかに丹念に眺めていたかがうかがえます。「柚餅子のやうな菓子」には富岡鉄斎が描いた洒脱な柚子の絵、「柿羊羹を台にした菓子」には永坂石埭(ながさかせきたい)が柿の絵に詩を添えたものがつけられていました。こうした紙片は、菓子の味わいを深めてくれる存在であったことでしょう。
戦争で甘いものの無くなった時代、素白が菓子好きの客人に見せると、客は「御馳走だ」と面白がったそうです。この連載で以前ご紹介した前川千帆の『偲糖帖』も、無くなってしまった菓子を懐かしんで作られたものでした。当時の人々は記憶の中の甘味に心の慰めを見出していたのですね。
素白のコレクションは残念ながら戦争で失われ、『菓子の譜』は「港々の思ひ出を伴つて居る」軍医の写生帖の行方に思いを馳せて終わります。戦火を免れて、どこかにひっそりと残っている可能性もあるでしょうか、おびただしい数にのぼったという菓子の絵を、見てみたいものです。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

『菓子の譜』青空文庫より

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