歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
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2016.04.06

佐竹義格と嘉定の菓子

嘉定菓子の鶉焼(左)と熨斗(模型・右)

8種類の嘉定菓子

6月16日は、菓子を食べて厄除招福を願う嘉定(嘉祥・かじょう)にちなんだ「和菓子の日」。江戸時代、幕府で盛大に催された嘉定については以前にもご紹介しました。
当日は、大名・旗本が総登城して将軍から菓子を頂戴しますが、江戸城の大広間には、饅頭・羊羹・鶉焼・寄水(よりみず)・金飩(きんとん)・あこや・熨斗(のし)・麩の8種類で合計2万個以上が並べられたといいます。目移りしてしまいそうですが、持ち帰ることができるのは1種類だけ。あらかじめ折敷(おしき)に用意されたものを順番に頂戴していくため、お目当ての菓子に当たるとは限りません。

2年連続で熨斗を貰う

久保田藩(秋田市)佐竹家では、元禄16年(1703)8月、弱冠10歳の義格(よしただ・1694~1715)が当主となり、6年後の宝永6年(1709)に初めての嘉定に臨みました。
佐竹家にとって久しぶりの嘉定で義格が持ち帰ったのは鮑を伸して作る熨斗。翌宝永7年に拝領したのも熨斗でした。藩主の側近の日記には、「先年ハ御菓子御頂戴、去年当年ハ御(木偏に「別」)ニ御熨斗斗(ばかり)ニ而、御頂戴御菓子ハ無之」(以前は菓子を貰ったのに去年今年は熨斗だけで菓子を貰っていない)とあり、どうやら佐竹家では、嘉定で菓子がもらえなかったとの誤解が生じたようです。熨斗も高価な縁起物ですが、菓子とは思えなかった気持ちは理解できるのではないでしょうか。
そうした家中の空気を察したのか、嘉定翌日の17日、義格は「上意」として、熨斗がれっきとした「嘉定の菓子」であることを家中に周知しています。数えで17歳とはいえ、すでに幕府から命じられた治水工事で功績を上げるなど、聡明で将来を嘱望された義格のこと。すばやく対処し、家臣に動揺が広がるのを防いだといえるでしょう。
なお、現在秋田市には、義格に献上したところたいそう気に入られたとの伝承を持つ「秋田諸越(あきたもろこし)」という干菓子が伝わっており、義格自身かなりの甘党だったことがうかがえます。家臣たちには「熨斗も菓子である」と説明しているものの、義格も本当はもっと菓子らしい、羊羹や饅頭が欲しかったかもしれませんね。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

 

参考文献:

『国典類抄』第13巻 秋田県教育委員会 1981年

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