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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2016.02.16

申維翰と求肥飴

求肥飴

朝鮮からの使節団

将軍襲職祝いなどのため、室町~江戸時代に朝鮮から来日した使節団を朝鮮通信使といいます。申維翰(しんゆはん・1681~?)は、通信使の製述官(書記官)として享保4年(1719)に日本を訪れました。このときの記録が『海游録(かいゆうろく)』。朝鮮人の日本観がうかがえる史料として知られます。

日本人僧侶からの心づくしの贈り物

朝鮮から対馬(長崎県)を経、江戸に向かった通信使の一行はおよそ470人。彼らの接待には多くの日本人が関わりましたが、なかでも重責を負ったのが対馬藩の禅寺・以酊庵(いていあん)の僧侶でしょう。以酊庵は朝鮮外交の窓口の役割を担っており、学識の高い京都五山の僧侶が輪番で就くのがきまりでした。彼らは通常、寺で執務し、通信使が来日すると同行して旅の便宜を図りました。維翰が来日した時は、京都・天龍寺から派遣された湛長老(月心性湛)が担当でした。長老は慣れない異国で気苦労の絶えない維翰に細やかな心遣いで接し、彼もそれに深い感銘を受けます。
旅が無事に終わり、対馬で長老との別れの宴が開かれることになりました。維翰が朝鮮に帰れば二人は再び会うことはなく、別れ難い思いが尽きません。名残を惜しむように宴は夜遅くまで続きました。翌日、長老の使いが書籍や漆の箱などとともに、故国にいる維翰の母のためにと求肥飴一箱を持ってきます。求肥飴は、もち米の粉で作った柔らかな食感の菓子。『海游録』には「その状が黒餹の如く、軟らかくて甘みが厚い。老人の食に宜(よろ)しいようだ」と書かれており、黒砂糖入りだったことが想像されます。実は維翰が製述官に任命される前、母が病に臥しており、そのことを湛長老に話したようです。故郷にいる母を気遣う維翰を見、長老は老人でも食べられるようにと求肥飴を用意したのでしょう。維翰からの感謝の言葉を聞き、長老の使いは涙に暮れたといいます。
旅の終わりに渡された心尽くしの求肥飴は、維翰にとって一番心に響く贈り物であったに違いありません。

※ 京都の禅宗(臨済宗)寺院の最上位にあたる五寺のこと。天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

申維翰著 姜在彦訳注『海游録 朝鮮通信使の日本紀行』平凡社 2003年
泉澄一「天龍寺第二百十一世月心性湛和尚について」(『柴田實先生古稀記念日本文化史論叢』柴田實先生古稀記念会 1976年)

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