歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。

※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2015.10.19

益田鈍翁と檜扇形の菓子

型物御菓子見本帖 春のかざし

茶人鈍翁

三井物産設立とともに、三井財閥の最高経営者となった益田孝(1848~1938)は、近代の代表的な茶人のひとりとして知られています。還暦を迎えた明治41年(1908)に黒楽茶碗「鈍太郎」を入手し、鈍翁(どんのう)と号するようになります。
彼は膨大な古美術の蒐集で知られていますが、特に佐竹本三十六歌仙絵巻の分断の話は有名です。この絵巻は鎌倉時代の藤原信実(のぶざね)の作品とされ、住吉明神社頭図を含む、37の場面が描かれています。あまりに高額のため購入希望者がおらず、道具商から相談を受けた鈍翁は、思案の末、海外流出を避けるために分断を決めます。世話人として自分のほか、彼の仕事上の後輩でもある高橋箒庵(そうあん)、双方の茶友でもある野崎幻庵(げんあん)を立て、道具商たちと購入候補者、個々の売価を決めました。こうして大正8年(1919)12月20日、分断・購入の会が東京品川御殿山の自宅で開催されます。
分断された作品の購入者は、くじ引きで決められました。鈍翁自身もくじ引きに参加したものの、お目当ての「斎宮女御(さいぐうにょうご)」は当たりませんでした。みるみる機嫌が悪くなる鈍翁を見て、「斎宮女御」を引き当てた道具商が鈍翁とくじを取替え、その場を丸く収めました。

斎宮女御茶会

こうして念願の「斎宮女御」を手に入れた鈍翁は、翌年3月24日から数日に亘って、披露の茶会を自宅で催しました。
この席で使われた主菓子は、箒庵の『大正茶道記』には「黒川製檜扇形菓子」、幻庵の『茶会漫録』には「帝室御用黒川製の檜扇形」と記されています。「黒川」とは虎屋店主の苗字であることから、大正9年「売掛明細帳」を確認してみると、「益田様」3月24日の項に「羊 春の挿頭(かざし)12(個数)」とありました。4月10日までの間に同様の注文が数回、一部の備考欄には、菓子の色を示す紅、紅白の表記も見られます。「型物御菓子見本帖」には、檜扇形に桜を一枝添えた『春のかざし』が紅一色で描かれており、当日の菓子は、「羊」とあることから羊羹製(餡に小麦粉などを混ぜ蒸し、揉み込んだ生地。他店では「こなし」とも)、色は紅か白の単色もの、あるいは扇を白の生地でつくり、桜を紅にしたのかもしれません。
鈍翁は「斎宮女御」の絵の中で、衣に隠れて見えない檜扇を、菓子で表す趣向を考えたのでしょう。また彼の茶席でのいでたちは、絵巻から出てきたような白絹の袴に浅黄色狩衣様のもの。扇に桜一枝を頂く貴公子の姿を想い、彼のもとに嫁してきた斎宮女御に対して、平安貴族さながら、冠に桜の枝をさし、喜びのあまり舞いたい気分を表したかったのかもしれません。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

高橋義雄『萬象録』巻7 高橋箒庵日記 思文閣出版 1990年
高橋箒庵『大正茶道記』一 淡交社 1991年
野崎幻庵『茶会漫録』第8集 中外商業新報社 1925年

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