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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2015.10.19

田中芳男と菓子唱歌

和菓子の主原料の一つ「小豆」

博物館の父と菓子産業

東京国立博物館や上野動物園の設立に力を尽くし、日本の博物館の父とも呼ばれる田中芳男(1838~1916)。幕末のパリ万国博覧会等に派遣された経験をいかし、内国勧業博覧会の開催に尽力、これが博物館を作る基礎にもなりました。植物学者でもあり、長崎から持ち帰った種をもとに作ったビワは「田中」という品種名で現在も栽培され、つい近年まで、新宿御苑に原木も残されていました。彼が携わった仕事は実に幅広いものでしたが、ここでは、明治44年(1911)に開かれた第1回帝国菓子飴大品評会(現在の全国菓子大博覧会の前身)の会長も務め、菓子産業の発達に貢献した人物としてご紹介しましょう。

菓子の歌

『日本洋菓子史』によれば田中は、菓子産業振興のために「菓子唱歌」という歌を自ら作ったといいます(菓子研究誌『はな橘』10号にも、田中の「菓子に於ける意見」を述べた歌として、ほぼ同一の歌詞が掲載されています)。「菓子や御菓子やよき菓子や 香味も形(なり)も色もよひ 老ひも若きも幼きも 好み嗜(たし)まぬものぞなき」と歌い出される七五調の歌詞は木の実や果物にはじまる菓子の歴史をたどり、洋菓子が広まったことや菓子屋の製造の工夫も語られ、原材料が列挙され……と、延々22番。需要が増すにつれて「本色うしなう品も出来」などと質の悪いものへの警告もあり、そのやや大仰な書きぶりは今では少々笑いを誘いますが、当時はもちろん大真面目だったことでしょう。改良に心を砕き、「輸出に適する」品をつくれば「御国の富となるぞかし」と終わるのも時代を感じさせます。

同書には、菓子研究家の三好右京氏が何とかして世に知らせたいと言った、というエピソードとともに「おしむらくは歌曲の不明」と書かれているのですが、田中自身が作ったスクラップ帖「捃拾帖(くんしゅうじょう)」(東京大学総合図書館蔵)に、譜面付きの冊子が貼りこまれていることを、近年モリナガ・ヨウ氏が著作の中で明らかにされました。表紙には「明治三十五年 田中芳男著 菓子唱歌」とあり、第2回全国菓子品評会の開催された年の制作であることがわかります。100年前の菓子事情に思いをめぐらせながら、口ずさんでみたいものです。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

 

参考文献:

池田文痴菴『日本洋菓子史』 日本洋菓子協会 1960年
モリナガ・ヨウ『東京大学の学術遺産 捃拾帖』KADOKAWA 2014年

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