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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2015.04.16

川路聖謨と菓子

ロシア側が日本側全権に贈った菓子の絵図(吉田コレクション蔵)
再現したもの

対ロシア外交に貢献

川路聖謨(かわじとしあきら・1801~68)は豊後国日田(大分県日田市)出身の幕臣です。 嘉永6年(1853)ロシア使節プチャーチンの来航に際し、長崎で交渉にあたり、翌年伊豆下田で日露和親条約を結びました。 明るく、機知に富んだ俊英で、プチャーチンは、ヨーロッパの社交界に出ても通用する一流の人物として絶賛しています。 長崎でのロシアと日本側の交流については、過去のHPでも取り上げましたが、 今回は同地で、嘉永6年12月17日、ロシア側が艦上で日本側をもてなした折の菓子のエピソードをご紹介しましょう。

自ら菓子を懐中に

川路の日記によれば、当日出された料理は、鯛や米を入れたスープのようなもの、 「牛・羊・鶏・玉子の類、又野菜の酢のもの」などで、 「菓子はカステラの類、葛もち、并にうどんの粉にて作りたるもの也」とのこと。詳しい記述はありませんが、 「カステラの類」は、引き出物で出された焼菓子(上図)のようなものでしょうか。 次の「葛もち」は日本の葛餅に似た食感のものだったかもしれません。「うどんの粉」は小麦粉のことで、 米粉でない点が印象に残ったと思われます。
形や味の言及もなく、淡々と記されていますが、接待したロシア側のゴンチャローフの旅行記によれば、 日本人一行は「これは何でござるか」と一皿ごとに尋ねたり、満足そうに羊肉をたいらげ、おかわりを所望したり、 積極的だった様子。「クリームのような軟らかいケーキ」(前述のカステラの類か)がビスケットと一緒に出されると、 川路は気に入ったのか、袂(たもと)から紙を一枚取り出して皿に残ったものを全部それに移し、 一捻りして懐中にしまい込んだそうです。「どこかの美人に持参する」のでなく「家来どもに取らせる」のだと 川路が話したことから、女性談義が始まるという、ほほえましい展開になります。こんなところにも彼の社交性がうかがえるといえるでしょう。

激動の人生

人情味豊かで茶目っ気がありながらも、川路は日本が不利な立場にならないよう、交渉では毅然とした態度をとりました。 ロシア外交の功労者として讃えられますが、晩年は時勢に恵まれず、隠居の身となり、病に苦しみます。 激動の人生でしたが、その比類なき外交手腕や魅力的な人柄は、時代小説に描かれるなど、今も語り継がれています。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

高野明・島田陽訳 『ゴンチャローフ日本渡航記』 講談社学術文庫 2008年
川路聖謨著 『長崎日記・下田日記』 東洋文庫124 平凡社 1979年

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