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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2014.07.16

伊庭八郎と菓子鮎

虎屋の『若鮎』「御干菓子見本帖」(1918)より

隻腕の剣士

伊庭八郎(いばはちろう・1843~69)は、江戸有数の剣術道場の跡取りとして生まれ、幕臣として徳川家茂・慶喜に仕えました。幕末維新期の戊辰戦争では、一貫して旧幕府側として戦い、明治2年5月、最後の戦場となった函館五稜郭で26歳の生涯を閉じます。眉目秀麗で役者のような風貌の上、義に厚く勇気があったとされ、また戦闘での傷がもとで左腕を失ったことから「隻腕の剣士」として、明治時代以降、講談などで語られ人気を博しました。

京都・大坂の遊覧記

文久4年(1864)正月、八郎は将軍家茂の警固のため上洛し、しばらく京都・大坂に滞在します。その間の日記「伊庭八郎征西日記」からは、勤務や武芸の稽古の合間を縫って名所散策に出かけるなど、初めての上方を楽しんでいる様子がうかがえます。
京都では嵐山・清水・祇園など、大坂滞在中は天満の天神(大坂天満宮)のほか、堺や奈良まで足を伸ばしました。名物を食べることも忘れておらず、堺では浜料理を楽しみ、天神の帰りには堂島へ寄り、米市場を見物した後「十二月しるこ屋」に入っています。「十二月」というと、12種類の汁粉を食べさせたという江戸の「十二ヶ月」が思い浮かびます(「馬琴と汁粉」の項参照)。ひょっとして大坂にも出店していたのでしょうか。

「菓子鮎」をもらう

上方滞在中には同僚などとの進物のやり取りも多く、菓子も頻出します。日記には「ミこと成(見事なる)桃の菓子」をもらったことや、家茂から拝領したと思われる菓子のおすそ分けについても記されています。また八郎が病気で寝込んだ際には、見舞いとしてカステラ・「雪おこし」・羊羹などが届けられました。
京都に入って2ヶ月ほどたった3月16日(現在の暦では4月下旬頃)には、同僚と思われる「三枝氏」から「菓子鮎」が届けられたことが記されています。鮎の菓子といえば、小麦粉生地を薄く焼き、やわらかめの求肥を包み、焼印で目やひれをつけた「若鮎」が知られるほか、干菓子や最中、生菓子などがあります。八郎が目にした菓子がどのようなものだったかは想像するしかありませんが、本格的な鮎の季節を前に、まずは菓子で楽しむという趣向だったのかも知れません。
6月にいったん江戸へ帰った八郎は、翌年再度上洛しますが、それは長州藩との戦争のためでした。そのまま上方に滞在し、戊辰戦争に突入することになった八郎は、初めての上洛中に過ごした日々を懐かしく思ったことでしょう。

※  江戸時代後期~大正時代にかけて江戸(東京)で繁盛した汁粉屋。明治時代には1月から12月までの汁粉を完食すると、代金は無料で景品が出たという。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

「伊庭八郎征西日記」(『維新日乗纂輯』5 東京大学出版会 1969年)
中村彰彦『ある幕臣の戊辰戦争』 中央公論新社 2014年

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