歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
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2014.04.16

鯛屋貞柳と玉露霜

鯛屋店頭『絵本御伽品鏡』(1730)より

菓子屋で狂歌師

江戸時代に上方で活躍した狂歌師に、鯛屋貞柳(たいやていりゅう・1654~1734)がいます。本名は永田善八。鯛屋とは家業の菓子屋の屋号です。店は南御堂前雛屋町(大阪市中央区)西南の角にあり、貞柳の狂歌が伝わっています。

わが宿は御堂の辰巳しかも角よう売れますと人はいふなり

喜撰法師の和歌「我が庵は都の辰巳しかぞ住む世を宇治山と人はいふなり」(百人一首)を踏まえて店の繁昌を詠みこんだものです。

菓子 玉露霜(ぎょくろそう)

『狂歌貞柳伝』(1790)によると、貞柳が店を継いだ元禄13年(1700)頃、長崎から来た菓子作り名人星野善方が、鯛屋に伝えた製法の中に、銘菓となった玉露霜がありました。
貞柳が京都の女院御所へこの菓子を届けたところ、女院(霊元院の中宮、新上西門院・鷹司房子)の意向で狂歌を詠むことになり、即座に応えたものが次の一首。

万歳と君を祝ひて奉る菓子も千箱(ちはこ)の玉の露霜

「千箱の玉」とは多くの箱に入った玉(財宝)の意で、「千秋万歳の千箱の玉を奉る」と婚礼などで用いられる祝いの言葉です。ここでは、女院の万歳(長寿)を祝い、献上する多くの箱の玉(財宝)、そこに菓子「玉露霜」の名をかけてめでた尽くしです。即興で詠むあたり狂歌師貞柳の面目躍如というところでしょう。「おほけなき」所(霊元院か)の耳にも入り、「玉露霜とはあまりにはかない名前なので、玉露こうと改めるように」とのお言葉があったとか。
鯛屋のこの菓子についてどのようなものだったかはっきりとはわかりません。『昼夜重宝記』(1692)の「薬菓子の部」には、「玉露霜」の製法があり、緑豆の粉に薄荷の葉を上下に敷いて蒸し、風味をつけて砂糖をかき合わせて作ることが記されています。出典として明代の医薬書『済世全書』(1616)が示されていますので中国伝来でしょう。薄荷の香りの甘い菓子。長崎の菓子職人が伝えたという鯛屋の玉露霜もこのようなものだったのかもしれません。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

 

参考文献:

大谷篤蔵「翻刻『狂歌貞柳伝』」(『文林』12号 松蔭女子学院大学 1978年)
「三井高業学芸資料3「狂歌貞柳伝」(影印)」(『三井文庫論叢』13号 三井文庫 1979年)

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