歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
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2014.03.17

黒川道祐と麩の焼

麩の焼
「ふの焼」の図
「後陽成院様御代より御用諸色書抜留」虎屋黒川家文書
(機関誌『和菓子』15号107頁に翻刻あり)

藩医を辞めて京都へ

黒川道祐(くろかわどうゆう・?~1691)は、江戸時代前期の儒医です。広島で藩主の浅野家に仕え、『芸備国郡志』『本朝医考』などを著し、延宝元年(1673)には職を辞して京都に居を構え、著述業に専念しました。歴史、文学に造詣が深く、京都の名所史跡を探訪し、晩年を過ごしたと伝えられます。その著作『雍州府志』(ようしゅうふし・1686刊)は、山城国(京都府南部)の地誌で、地理、沿革、寺社、風俗や土産などについて言及した10巻にも及ぶ詳細な内容は、今日も資料的価値が高いものとされます。

『雍州府志』に見える京都の菓子

菓子に関しては、餅、角黍(ちまき)、饅頭、地黄煎、飴糖、洲浜飴、興米(おこしごめ)、麩の焼(ふのやき)、焼餅、団子、欠(か)き餅、煎餅、古賀志(こがし、香煎のこと)、炒豆などの記述があり、今も知られる川端道喜の粽、御手洗団子、真盛豆、弊社の饅頭にも触れています。なかでも今回ご紹介したいのが麩の焼です。千利休の茶会を記したとされる「利休百会記」にたびたび見えますが、同書により、江戸時代前期には京都の各所で作られていて、小麦粉を水溶きして焼き、表面に味噌を塗って巻いたものだったことなどがわかります。「匙」(さじ)の使用や、麩の焼の中側は「柔脆」(じゅうぜい)という記述からは、道祐が製造現場を見たり、実際に味わったりしていた様子が想像できそうです。民間では、彼岸の折、親戚や友人に麩の焼をふるまい、形状が経巻に似ているので、これを食べることを「経幾巻を読む」と言った旨も見え、意外な風習に驚かされます。

麩の焼の絵図

余談になりますが、経巻を思わせる麩の焼の絵図が虎屋の御用記録に残っています(上図)。『雍州府志』が刊行されて100年以上も後の寛政5年(1793)5月15日に、仙洞御所(後桜町上皇)の「御好御用」として納めたもので、「御膳餡入巻」とあることから、あんこ巻きのような感じでしょう。道祐にも見せたい絵図ですが、甘い餡の麩の焼きでは、食べても「経幾巻を読む」雰囲気にならなかったかもしれません。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

『雍州府志』 新修京都叢書10巻 臨川書店 1994年

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