歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2014.02.17

安田松翁と菓子

花ぼうろ

安田善次郎こと茶人松翁

安田善次郎(1838~1921)は現在の富山県出身で、下級武士の子として生まれました。20歳の頃、幕末の江戸に出て丁稚奉公をはじめます。その後、一代で安田銀行(現みずほFG)を中心とした安田財閥を築き、日本の銀行王といわれました。また日比谷公会堂や東京大学安田講堂を寄付するなど社会事業の面でも業績を残しました。
40歳前後のようですが、知人の勧めもあり、お茶に興味を持つようになり、表千家11代宗匠碌々斎(ろくろくさい)に入門し、松翁(しょうおう)を名乗りました。明治13年(1880)から大正7年(1918)にわたり記されたのが『松翁茶会記』です。

花ぼうろ

茶会記で明治14、15年の2月の席に続けて使われた菓子が目につきました。はしか彫※1香盆に載せた「花ぼうろ※2」です。
「花ぼうろ」は南蛮菓子の一種で、小麦粉に砂糖を混ぜた生地を王冠(図1)や花など(図2)に成形した菓子です。このような菓子は現在も沖縄で販売されていますが、干菓子として使う記録は、明治から大正にかけての茶会記では見たことがありません。ところが色々な菓子の絵図帳を見ていると、「花ぼうろ」と言ってもシンプルな形状のもの(図3)もあることが分かりました。実際にどのようなものを松翁が使ったのかは分かりませんが、こうして想像してみるのも茶会記を読む楽しみの一つです。

花ぼうろ
花ぼうろ

「蒸餅干菓子雛形 下」(虎屋文庫蔵)から

松翁、水飴を所望

松翁の亡くなる前年の大正9年夏、松翁の子どもたちが、避暑のため浦賀で過ごした帰りに彼のいる大磯に立ち寄る折、土産に何がよいか尋ねたところ、「浦賀には好(よ)き水飴あり、それを貰(もら)ひたし」と返事をしています。
『新編相模国風土記稿』(1841)によると、浦賀では天明(1781~89)の頃からおいしい水飴を作っていました。現在は廃れてしまいましたが、外国人からも「からだに良い」との評判もあり、パリ万国博覧会(1889)にも出品されています。
松翁は余生を暮らした大磯の裏山に、95歳までに三十三番札所の観音像を作る計画を立てていたようで、大正9年の段階で、既に23箇所は完成していました。残りの完成を目指し、健康に気をつけ、からだに良いと評判の水飴を求めたのでしょう。

※1 はしか彫:彫漆(ちょうしつ)の一種。彫りの線が細く、稲・麦などの芒(のぎ)のような先端がとがった彫りが特徴。
※2 ぼうろ、ボーロ、ボウルは同種の菓子。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

安田善次郎『松翁茶会記』私家版 1928年
矢野竜渓『安田善次郎伝』安田保善社 1925年
エリザR.シドモア『シドモア日本紀行』講談社学術文庫 2002年

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