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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2013.11.15

松平春嶽と蓬が嶋

現在の『蓬が嶋』 撮影:轟近夫

幕末の名君

福井藩主松平春嶽(まつだいらしゅんがく・1828~90)は、幕末の名君として大河ドラマなどでもおなじみの人物です。政争のため31歳の若さで藩主を退きましたが、のちに政界に復帰。政事総裁職や京都守護職など要職に就き、幕府の建て直しに尽力しました。
強面な印象が強い春嶽ですが、情に篤い人でもありました。結婚前、許婚(いいなずけ)である熊本藩細川家の勇姫(いさひめ)が疱瘡(ほうそう=天然痘・てんねんとう)にかかり、細川家から婚約を辞退する旨の申し入れがあった際には、「心が美しければ、いささかも気に留めることはない」と言って婚儀を進めさせました。病が癒え、妻となった勇姫は、夫をよく助け質素倹約に努めたといいます。また、春嶽も公務のため京都に赴いた際には夫人宛に日記をしたためており、勇姫を大切にしていたことがうかがえます※1

子持饅頭を夫人に送る

春嶽の記した日記の記述のほとんどは政治を巡るものでしたが、福井で暮らす家族とさかんに贈り物のやりとりをしたことも書かれています。
慶応3年(1867)5月21日、春嶽は京都で明治天皇に拝謁し、羊羹、酒、肴などを頂戴します。早速、勇姫に送ろうとしますが、羊羹が『少々損』じていたため、代わりに公家の近衛忠熙(このえただひろ)から届けられた「蓬が嶋(よもがしま)」を送っています。
日記には「蓬が嶋」の詳細は書かれていませんが、虎屋には、大形の饅頭に小饅頭が入った同名の菓子があり、忠熙の曽祖父、近衛内前(このえうちさき)から御銘を賜っています。春嶽に届けられたものも恐らく虎屋製でしょう。ちなみに御銘の記録には、中の小饅頭には小倉餡を、大饅頭には栗の粉あるいはお好みで白餡を詰めるという添え書きがあり※2、現在作られているもの(写真の『蓬が嶋』)とはずいぶん違うことがわかります。京都から珍しい菓子が送られ、勇姫はきっと嬉しかったことでしょう。喜ぶ顔が目に浮かぶようです。

※1 文久3年(1863)「都の日記」(『松平春嶽全集』第4巻 原書房 1973年)、慶応3年(1867)「京都日記」(『福井県史』資料編3 中・近世1 福井県 1982年)。日記の終わりには「いさ姫とのへ」とある。
※2 (蓬可島御銘頂戴書)宝暦12年(1762) 虎屋黒川家文書

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

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