歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
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2013.10.16

夏目漱石と越後の笹飴

明治の大文豪と主治医

『我輩は猫である』『三四郎』などの名作を残し、根強い人気を誇る夏目漱石(1867~1916)。明治43年(1910)8月、漱石は修善寺で胃潰瘍の療養中に大量に血を吐き、重態に陥ってしまいます。このとき東京の長与胃腸病院から派遣され、以降、治療にあたったのが医師の森成麟造(もりなりりんぞう・1884~1955)でした。
数ヶ月におよぶ修善寺での闘病中、森成は、病床の花がしぼむと裏山から季節の草花を摘んできてくれて、また散策の折にはあけびなどを持ち帰って見せることもあったそうです。こうした心遣いは病人の無聊(ぶりょう)を大いになぐさめたことでしょう。
森成の尽力により、漱石は少しずつ体調を回復し、10月には修善寺から長与胃腸病院へと移ることができました。療養中の食事は、オートミールやソーダビスケットなど消化にいいものが選ばれ、東京に戻ってからは、森成の出身地である新潟県の名物「越後高田の翁飴」や「越後の笹飴」が出ることもありました。
翁飴は水飴を寒天で固めたもの。笹飴も煉り上げた水飴を熊笹の葉で挟んだものです。粟やもち米を使った水飴から作られる菓子なので、胃腸に優しく、森成も安心してすすめることができたのでしょう。
漱石は、森成の手厚い看護に大いに感じ入るものがあったようで、帰京後、「朝寒も夜寒も人の情けかな」の句を彫った銀製の煙草入れを贈っています。

思い出の笹飴

森成は翌年、新潟県高田市に戻り医院を開業します。両者の交流は続き、漱石は森成の依頼をうけ高田市での講演会に出向くこともあり、森成からは海産物のほか、笹飴・笹粽・笹餅といった名物菓子がたびたび送られました。
たとえば、大正2年(1913)1月13日付で、漱石は森成宛に笹飴の礼状を出しています。自分は1つ食べただけで、あとは子どもが食べてしまい、「笹を座敷中へ散らばしていやはや大変な有様です」と書かれており、遠来の菓子をめぐって子どもたちが大騒ぎしている楽しい家庭の様子がうかがえます。
その一方で、漱石は、笹飴を食べる折々に、修善寺や長与胃腸病院での日々を感慨深く思い出したことではないでしょうか。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

『漱石全集』第25・26・30巻  岩波書店

画像提供:

株式会社 髙橋孫左衛門商店

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