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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2013.06.17

春日局と御譜代餅

大奥の権力者

春日局(かすがのつぼね・1579~1643)は、三代将軍徳川家光の乳母として江戸城大奥の権力を握り、幕政にも影響力を持った女性です。弟国松(後の忠長)との争いを制して家光が将軍になれたのは、春日局が大御所家康に直訴したためともいわれます。また、幕府と朝廷が対立した紫衣事件(しえじけん)の際には、幕府の意向を受けて上洛し、女性としては異例の参内を遂げています。その際、無位無官では参内できないため、公家三条西実条(さんじょうにしさねえだ)の妹の扱いで「春日」の局号を授かったのです。

自分を通さなかった門番を賞す

ある夜春日局が江戸城の門の一つ平川門を通ろうとすると、外出が予定より長引いたのでしょうか、すでに閉門していました。本丸の目付の許可がないから開けられないと言う門番の頭に、「私は春日です」と名乗ったところ、「春日であろうが天照大神であろうが許可がなくては通せません」とつっぱねられました。結局4時間ほどたってようやく許可が出たのか、門が開き、通ることができたのです。本丸に戻った局が事の顛末を家光に話すと、「門の出入りは厳重にするよう申し付けているからそういうこともあるだろう」と笑われました。局も将軍の城を守る門番の気概に感心したのか、翌日平川門の門番へ菓子を贈り、日ごろの労をねぎらったといいます。

御譜代餅(ごふだいもち)の逸話

大奥には毎月女中に玄米餅が下される習慣がありました。幕末頃には「御譜代餅」と呼ばれたこの餅に春日局にまつわる逸話があります。
初代将軍家康の時代から、毎月恒例の鷹狩に出る際には強飯(おこわ)を蒸し、狩に出なかった時は大奥を含め城内に配りましたが、局は保存上の理由からかこれを餅に改めたといいます。ある時家光が病に伏せっていたため、この餅が配られないことがありました。鷹狩りどころではないので無駄になると思って餅を作らせなかったと言う役人に対し、局は怒って「神君家康以来作り続けているのに、止めるのは不吉な例になります。そもそもこの餅は皆々の糧になるので無駄ではありません」と言って必ず作るよう命じました。男性役人を叱り付ける剛毅な女性のイメージの一方、わが子同然の将軍家光が病に伏す中、恒例の餅を作り続けることで、その快復を願う心情も垣間見えます。

※  名前の由来は不明だが、江戸時代後期に将軍の夫人に願って「御譜代餅」を拝領した八戸藩(青森県)では、代々の将軍の食べる米を用い、苗代に撒くと豊作になることからその名がついたとしている(『八戸藩史料』)。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

「大東婦女貞烈記」(『婦人文庫』1918年 復刻版)
三田村鳶魚『御殿女中』三田村鳶魚全集第3巻 中央公論社 1976年

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