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歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2013.03.18

林鶴梁と月の雫

現在の「月の雫」

学者にして幕臣

林鶴梁(はやしかくりょう・1806~78)の名を知る人は今となっては少ないでしょう。しかし、かつて夏目漱石は、少年時代に愛読した本に、鶴梁の漢詩文集『鶴梁文鈔』の名をあげ、著名な江戸研究家三田村鳶魚(みたむらえんぎょ)も、明治時代中期の少年たちの多くがこの本を読み、暗唱する者もいたことを記しています。
鶴梁は漢学者であり、旗本として幕府に仕えた人でした。上野国群馬郡萩原村(現群馬県高崎市)の豪農の家に生まれ、江戸に出て御家人株を買い林姓を名乗りました。学問を志し、その学識などによって後に代官として遠江中泉(現静岡県磐田市)、出羽柴崎(現山形県寒河江市)を治め、幕府学問所頭取にまでなり、明治後は新政府出仕の誘いを断り、私塾で後進の指導に当たりました。
鶴梁の際立った特徴の一つに交友関係の広さがあります。川路聖謨、大久保一翁などの開明派幕臣、藤田東湖や橋本佐内をはじめとする幕末史に重要な役割を果たした人々。大名では水戸藩徳川斉昭、松代藩真田幸貫、土浦藩土屋寅直、佐賀藩鍋島閑叟らとも交流していました。

銘菓 月の雫

鶴梁は師松崎慊堂(まつざきこうどう)に勧められ、天保14年(1843)から日記をつけ始め、日常の細かなことから職務上のことまで事細かに記しています。その日記からエピソードを拾ってみましょう。
弘化3年(1846)3月甲府勤番士のための学問所徽典館(きてんかん)の学頭を命じられ、翌年3月まで甲府に赴任しています。弘化4年1月23日、甲府近郊の上飯田村(現甲府市)に荻野寛一という人物を訪れました。事前に荻野から誘いを受けていたのです。この時は麦飯、スマシ、炙鰻(あぶりうなぎ)、膾(なます)2種、コチ煮付けのご馳走になっています。鶴梁はこうした時かならず返礼をしていますが、後日荻野のもとに「半切二百枚、月の雫一朱分」を送っています。半切とは書状用の紙のこと、月の雫とは今に続く甲州銘菓です。現在では煮溶かした砂糖を良くかき混ぜ白くして葡萄一粒を浸して衣掛けして作ります。葡萄の風味と砂糖の甘さが良く合います。事細かに記録する鶴梁ですが、菓子の場合「菓子」とのみ記すことが多く、「月の雫」のように菓銘を記すことは稀です。なにか思い入れがあったのでしょうか。
「月の雫」はもう一度日記に登場します。江戸に帰った後の弘化5年2月26日の条に「甲人来ル」とあります。甲府の人が来たという意味で、藤屋伊兵衛という人が鶴梁を訪ねています。藤屋の土産が月の雫でした。人に贈り物をする時には、相手の好物を選ぶことも多いと思います。鶴梁はこの菓子が好物だったのかも知れません。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

保田晴男『ある文人代官の幕末日記―林鶴梁の日常』吉川弘文館 2009年
保田晴男編『林鶴梁日記』日本評論社 2002年

画像提供:

松林軒豊嶋家

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