メニュー
歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2013.02.14

山中共古と東京の菓子

桜餅

行動派の民俗学研究者

山中共古(やまなかきょうこ・1850~1928)は、本名を山中笑(えむ)といい、『甲斐の落葉』『共古随筆』などを著した、先駆的な民俗学研究者です。生まれは江戸の四谷で、英語の教師や牧師を勤める一方、庶民の生活の見聞記をまとめ、牧師をやめた後に本格的な研究活動に専念します。
書斎にこもることなく、フィールドワークを重んじ、自ら描いた挿絵入りの報告書や論文を世に出し、日本民俗学に大きな足跡を残しました。
著名な民俗学者、柳田国男も共古と親交があり、その業績を高く評価しています。

行事菓子の記述

著作の中で菓子についての記述が見られるのが、『共古随筆』所載の「土俗談語」(1899年序)です。酉の市の粟餅、目黒不動の「花形の餅せんべい」などに触れていますが、特に目を引くのは、東京の菓子屋の年中行事に関わるところでしょう。
「正月は年始進物の折詰物の外に、何れの菓子やも製するものは、ようかんくづときりざんしよふなり。二月は何にもなし。三月は雛菓子ひし餅豆いりはぜ。此の頃桜餅を製す。四月なし。五月柏餅ちまき餅。六月此の頃くづ餅を製す。七月蓮飯。八月九月別になし。十月小まくら餅。十一月なし。十二月餅つき。此の外七種の七色菓子、有卦に入るときのふの字の菓子、祝の赤飯、弔の饅頭等ならん乎。」とあり、明治時代後期の東京で、どのような行事菓子が作られていたかが記されています。
正月の「ようかんくづときりざんしよふ」は葛で作った蒸羊羹、あるいは「切り羊羹」及び切山椒と考えられ、三月の「豆いりはぜ」は雛あられの原形でしょう。雛祭の頃に桜餅が作られるのは現在に通じます。六月の「くづ餅」は季節限定と考えると、葛粉を使った涼しげなものでしょうか。七月の蓮飯は蓮の葉に包んで蒸したお盆用の強飯、十月の「小まくら餅」は、日蓮の命日に供える枕形の餅で、かつてはよく作られたようです。庚申(こうしん)の日に供えた七色菓子(なないろがし)、有卦祝(うけいわい)の「ふの字の菓子」(幸運の年まわりに入ったときに用意する、富士山、藤の花など、名前に「ふ」のつく菓子)などは、残念なことに現在の東京では見ることもなくなりました(一部地域では七色菓子が残っています)。
共古のいう東京の「何れの菓子やも」が東京のすべての菓子屋にいえるかどうかは疑問もありますが、当時の菓子事情がうかがえ、興味を覚えます。

気になる菓子談

山中共古の人柄は温厚で、文章よりも談話や雑談が楽しく、また得意だったのではといわれています。上記の菓子の記述は簡潔で、覚書のようでもありますが、あれこれ詳しく聞けたらさぞかしおもしろかったのではないでしょうか。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

山中共古『共古随筆』飯島吉晴解説 平凡社 1995年

虎屋のウェブサイト上に掲載しております内容(上記「歴史上の人物と和菓子」内の文章を含みます)に関する著作権その他の権利は虎屋が有しており、無断に複製等行いますと著作権法違反等になります。当ウェブサイトに関する著作権等については、以下のページをご覧下さい。

著作権について


トップへ戻る