歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
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2013.01.16

杉木普斎と小豆餅

「小豆餅」黒文字に杉箸を一本添えて

御師・茶人 普斎

杉木普斎(すぎきふさい・1628~1706)は、伊勢神宮の御師(おんし)という神職の家に生まれ、代々「吉大夫」を名乗っていました。御師とは、伊勢神宮への参宮を目的につくられた全国各地の伊勢講に出向き、お伊勢参りを勧め、お参りの案内や宿泊の世話をしたり、初穂料や祈祷などを仲介したりする神職です。彼自身は中国、四国、九州など、父とともに各地をまわっていたといわれています。
普斎は御師として西国に旅立つ折々に京都へ立ち寄り、15歳から30歳頃まで千宗旦に茶の湯を学び、宗旦からは宗喜の茶名を、大徳寺の参禅の師、乾英宗単(けんえいそうたん)からは普斎の号を与えられました。家業の御師を継ぐかたわら、侘び茶人として、のちには宗旦四天王と言われる高弟の一人に数えられています。

殿様が喜んだ小豆餅

寛文9年(1669)、式年遷宮の警護で伊勢山田を訪れた鳥羽の殿様※1は、宿泊先の御師、逐沼(おいぬま)大夫を通じて、当時すでに宗旦の流れを汲む茶人として有名であった普斎に、一服の茶を所望しました。
訪問前日の夕刻、大夫は茶の準備を確認するために、普斎宅を訪ねると、台所には取り立てて準備の様子はなく、いつもの猫が寝ているだけです。大夫は慌てて手伝いを申し出ますが、「もうすでに準備は調っている。」と言われ、何も手出しできませんでした。
翌日朝食後、約束の時間に殿様が訪ねると、準備万端。茶室に通され、菓子を食べ、茶を三服もお替りし、歓談ののち、宿に帰りました。殿様は出された菓子を気に入り、大夫を呼んで、土産にしたいので、普斎にどこの菓子か聞いてくるように命じました。早速、菓子のことを尋ねに行くと、普斎は言葉を濁し、あり合わせのものだからといって、答えてくれませんでした。
ことの次第を聞いて殿様は、普斎のお手製と気づき、その場で誇らなかった普斎の奥ゆかしさを後々までほめたとのこと。
この菓子、隣の餅屋の餅に小豆を煮たものをのせ、その上に白砂糖をいっぱい振りかけた、素朴な手作りのものでした。連日歓待を受けている殿様を考えた、もてなしの一品だったのでしょう。

皆さんも正月の残りの餅を使って、手製の小豆餅の一椀を試してみては如何でしょうか。餅を軽くあぶり、茹でて椀に盛り、その上に塩茹でした小豆をのせてみました。最後に白砂糖を大匙一杯ほど、小豆の上に振りかけてできあがり。菓子屋の菓子とは違う、侘びた味わいを楽しむことができることでしょう。

※1 上記参考文献(1)の史料には鳥羽城主稲垣候(註:内藤志摩守忠重)とあるが、年代から考えると鳥羽城主内藤飛騨守忠政か。

※ 普斎のこの逸話は、色々な伝承があり、それぞれ内容に微妙な相違がある。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

参考文献:

「普公茶話」(『茶道全集巻の十一』創元社 1936年)
熊倉功夫、筒井紘一他『史料による茶の湯の歴史(下)』主婦の友社 1995年
桑田忠親『茶道の逸話』東京堂出版 1990年

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