歴史上の人物と和菓子

今も昔もお菓子好きはいるものです。歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載しています。
※ お菓子の画像はイメージです。お問い合わせは菓子資料室 虎屋文庫までお願いいたします。

2012.12.17

与謝野晶子と羊羹

竹皮包みの羊羹

和菓子屋の娘

明治から大正・昭和にかけて活躍した歌人・与謝野晶子(1878~1942)は、処女歌集『みだれ髪』や、日露戦争時に危険思想ともいわれた『君しにたまふことなかれ』、『源氏物語』の現代語訳などで広く知られます。 晶子は、明治11年、堺の菓子屋、駿河屋の三女として生まれ、10代の初めころから家の手伝いをしながら育ちました。
駿河屋は羊羹で知られた老舗で、晶子は商品の管理や販売、帳簿付けなどを担当し、また、毎年正月に販売する勅題(現在の宮中歌会始の「お題」)にちなむ菓子の創案もしていたといいます。また、「羊羹場」と呼ばれる製造現場で、丁稚と共に菓子を作ったり羊羹を切ったりもしていたようです。

羊羹を竹皮で包む

晶子は後年、著作の中で「わたしは菓子屋の店で竹の皮で羊羹を包みながら育つた」と書いています。竹皮包みの羊羹は現在でもおなじみですが、その歴史は古く、虎屋では元禄15年(1702)に記録が残っています。
また、元禄3年に刊行された、商人や職人の図説書である『人倫訓蒙図彙(じんりんきんもうずい)』には竹皮屋があります。
竹皮の用途として草履、笠などと並んで「菓子を包」と記されており、伝統的な菓子パッケージの一つといえるでしょう。
晶子にとっても、竹皮と羊羹は、実家の象徴だったに違いありません。

母として

11人の子どもの母親になってからは、日本の風習を伝えるために年中行事を大切にしたそうです。晶子の作る月見団子は関西風の里芋形で、きな粉をつけたものでした(きな粉の月見団子は、江戸時代から作られていたようです)。 お彼岸には、どんなに忙しくても、必ず自分でこし餡を炊いておはぎを作り、子どもたちが近所に配りに行きました。
長男の光は、よく作ってもらったお汁粉はいつもこし餡の汁粉で、「ぜんざいみたいなものは未完成だって馬鹿にして」小豆の粒の入ったものは作らなかったと振り返り、また、「母はやっぱりお菓子屋さんの子だから、お菓子の作り方はよく知っておりました」と語っています。
子どもたちのために菓子を作るとき、晶子は実家の「羊羹場」を思うこともあったでしょうか。

※この連載を元にした書籍  『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・税込1944円)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

 

参考文献:

与謝野光『晶子と寛の思い出』思文閣出版 1991年
逸見久美『新版 評伝 与謝野晶子 明治篇』 八木書店 2007年

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